東京藝術大学スーパークローン文化財展で再現された四神図
世界遺産に興味があるなら一度は聞いたことがあるのではないだろうか。今回紹介したいのは、北朝鮮初の世界遺産「高句麗古墳群」。大墓壁面の花崗岩に江西大墓四神図(青龍、朱雀、白虎、玄武)が描かれている。最近、「東京藝術大学スーパークローン文化財展」で、この四神図の再現がされたことも記憶に新しい。
まずは高句麗古墳群の歴史から見ていきたい。
東京藝術大学スーパークローン文化財展(2020年8月1日~31日開催)
高句麗文化を現在に伝える高句麗古墳群の歴史
平壌付近にある高句麗古墳群は、高句麗王国の中後期の63基の古墳からなる。高句麗王国は、紀元前1世紀にかけて栄えた王国の1つだ。古墳の多くに残る美しい壁画は、高句麗文化を現在に伝える貴重なものと言っていいだろう。
元々、高句麗の首都は現在の中国吉林省、広開土王碑でも知られる集安にあり、平壌に遷都したのは西暦427年。以降、668年に唐と新羅に滅ぼされてしまうまで王国の中心として繁栄した。
高句麗古墳群の概要
ここでは高句麗古墳群の詳しい概要について説明しよう。
高句麗古墳群は、平壌市、南浦市、平安南道、黄海南道に広く分布する。高句麗王国末期の江西三墓、徳興里壁画古墳、水山里古墳、安岳1号墳、安岳3号墳など古墳63基が含まれる。
このうち16基の古墳は、石室の天井に極彩色の星宿(星座)図や「白虎」などの四神図などの美しい壁画が描かれており、高句麗時代の代表的な傑作といえる。
また、古墳の構造は、当時の巧みな土木技術を証明するものでもある。高句麗文化の優れた埋葬習慣は、日本を含む他地域の文化にも大きな影響を与えた。
中国が横槍。世界遺産登録までの経緯
当初、高句麗古墳群は2003年には世界遺産へ登録される見込みであったが、当時の駐日中国大使の武大偉から登録の引き延ばしと高句麗前期の集安の遺跡との同時登録を要請された画家の平山郁夫が中朝両国の仲介を行ったという話が有名だ。
その経緯で、中朝両国にまたがる両遺跡は2004年の同時登録という形になった。北朝鮮と中国の間に、高句麗地区の領土問題が存在することが改めて認知された。
高句麗古墳群が日本に与えた影響とは?
高句麗古墳群の壁画は文化のルーツを知る上でも極めて重要だ。世界遺産に登録された古墳のうち16基には、高句麗の文化や風俗を現代に伝える壁画が描かれている。初期の壁画には、当時の生活風俗や家屋、狩猟、戦争の様子などが描かれており、後期の壁画には道教の影響による四神図が多く見られる。
これらの壁画のなかには、日本の飛鳥時代(592年~710年)の遺構である「高松塚古墳」の壁画と非常に似ているものがあり、高句麗王国が、日本を含む東アジアに大きな影響を与えていたことが分かる。
今は新型コロナウィルスの影響で現実的ではないが、終息したタイミングで一度は訪れてみたいものだ。もちろん、現地では自由に行動することができないので、事前にしっかりとした旅行計画を立てることをオススメしたい。
井上 一希
フリー編集者。マガジンハウス「anan」、宝島社「sweet」、読売新聞ライフスタイルページの編集担当。好きな食べ物は「冷麺」。