丹東から鴨緑江を挟んだ北朝鮮側には日本時代の建物や施設を肉眼で確認できる

丹東から鴨緑江を挟んだ北朝鮮側には日本時代の建物や施設を肉眼で確認できる

水豊ダム 出典 Jacky Lee [Public domain], via Wikimedia Commons

丹東から鴨緑江を挟んだ北朝鮮側には日本時代の建物や施設を肉眼で確認できる

 「北朝鮮旅行をしたい」と考えるものの現実的には、中々ハードルが高いため北朝鮮をに少しでも体験できるスポットとして丹東市など中朝国境を訪れようとする人も多いのではないだろうか。

 実は、この丹東市近辺を流れる鴨緑江の対岸、つまり、北朝鮮側の地域には、今なお日本統治時代の建築物を肉眼で見物することができる。

丹東市中心エリアから見える旧王子製紙の新義州工場

 丹東市の向かい北朝鮮側の新義州市では肉眼で旧王子製紙の新義州工場が見える。ここは現在、化学繊維工場となっていて、丹東市のランドマークである中朝友誼橋附近からはっきりと煙突を確認できる(「グーグルマップ」で見てみると面白い)。

 金正恩委員長が新義州化学繊維工場を現地指導している映像が「朝鮮中央テレビ」で流れることからも、北朝鮮にとって建国後から現在にいたるまで重要な工場施設に位置づけられていることが分かる。

河口断橋近くにある日窒コンツェルンが建てた青水化学工場

河口断橋近くにある日窒コンツェルンが建てた青水化学工場

日窒コンツェルンが建てた青水化学工場(右側)

 丹東市から北東へ1時間半ほど鴨緑江上流に走っていくと、「もう1つの断橋」と呼ばれる河口断橋がある河口村へ着く。そこからさらに10分ほど進むと北朝鮮側に青い建物が見えてくる。北朝鮮朔州郡にある青水化学工場は、戦前の財閥である日窒コンツェルンが建てたカーバイド(炭化物のことで有機合成用など様々な用途に使用される)工場だ。

 日窒コンツェルンは、「旭化成」や「積水化学」などの前進であり、戦前の朝鮮半島にて工業化を推し進める役割を果たした。

 青水化学工場は、北朝鮮建国後には、覚醒剤を製造する工場へ転用されたと指摘する専門家もいるなど工場として継続的に稼働していた。時代は流れ2000年代になると煙が上がらなくなり、外壁もボロボロに朽ち果てていたことから閉鎖と見られていたが、近年、リニューアルされた建物から青とも緑とも言えない煙が上がっているのが確認されており、再稼働したとみられる。

水豊ダムは北朝鮮の国章

水豊ダムは北朝鮮の国章

水豊ダムが描かれる北朝鮮の国章 出典 Vector [Public domain], via Vector

水豊ダムは北朝鮮の国章

 丹東市から2時間ほど鴨緑江沿いに北上、前出の青水化学工場から30分ほどさらに上流へ移動すると、北朝鮮の国章にもなっている水豊ダムが見えてくる。

 水豊ダムは、戦前の朝鮮と満洲国を横断する巨大ダムで、その製造には日本が大きく関与しており、間組(朝鮮側)、西松建設(満洲国側)により施工され、さらに同ダムにも日窒コンツェルンが関わった歴史を有している。

 1944年(昭和20)竣工当時、東洋一のダムと呼ばれるほどの巨大規模で、現在でも北朝鮮の電力を賄っている。

 北朝鮮の国章に、建国前の日本時代の建築物が入っていることに驚く人も多いかもしれないが、北朝鮮側としても認めざるをえないくらい、水豊ダムは立派な建築物ということだろう。

観光地ではない水豊ダム。日本人感覚で行動しないこと

 以上、今も北朝鮮に残る日本時代の建築物を紹介したが、現在でも中国側から確認できるとなると歴史好きなら非常にロマンを感じる人も多いのではなかろうか。

 中朝国境最大の街「丹東」と言えば、北朝鮮の風景を目当てに行く日本人が大半だろうが、今回、紹介したような日本時代の遺産を見物することも訪問目的へ加えてみてはどうだろうか。

 しかし、これら日本時代の建築物は中朝国境の中国側から確認できるとはいえ、たとえば、中国ではダムは観光地でなく、発電所は国家運営の根本を支える重要施設ため、軍事施設と同等に扱われており、施設接近や写真撮影を制限していることが多い(途中の太平湾ダムも同様)。

 一般的な日本人の感覚で近づいたり、うっかり禁止施設を撮影したりして拘束されたりしないよう十分に注意する必要がある。もし訪れるなら現地情報に精通した中国の旅行会社などへ相談して情報を集めたり、ガイドを依頼するなど安全な観光を心がけてほしい。


北으로 들어가는 수풍댐 전기…’군사용’ 우려 / SBS

宮田 幸三

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