人々の多様な姿に絞った100枚
先日、東京の根津のギャラリーで開かれたフォトジャーナリストの伊藤孝司氏の写真展「平壌の人びと」を見てきた。同氏は、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)を1992年から43回訪れ、膨大な量の写真撮影を行い、今回はその中でも人々の多様な姿に絞った100枚が展示された。
小雨が降る週末のお昼過ぎに訪れたが、ギャラリーには思っていた以上に多くの人が来ており、コロナ対策もあって入場には人数制限を行っていた。整理券を受け取り、午後3時から同氏による写真説明が行われた。
写真の多くは、コロナ禍が始まる2019年頃に撮影されたものが主だった。どれも他の外国人が撮影するには難しい生きた北朝鮮人民の生活の様子ばかりであるが、その中で何点か筆者が印象深かった写真を紹介する。
生まれる余裕と新しいサービス
まずは、地方の咸興で撮影された結婚写真の様子である。同氏によると、北朝鮮では平壌のような都会以外の地方でも結婚式の前撮りが広まっており、中には2日間にわたって撮影する人もいるという。鮮やかなチマチョゴリを着た新婦に寄り添う新郎。その幸せな様子を専門の業者が撮影するとのこと。
かつて、北朝鮮では、結婚式は家の中で行うことが多く、写真といっても料理を前に家族写真を撮るくらいだったので、最近では日本や韓国でも行われるような結婚式の前撮りを行う余裕が生まれたことに感心した。
次に、同氏がおいしくて何回も訪れたというおかずを売るお店。北朝鮮にも出前というサービスが生まれたようで、家で作るには大変な手の凝ったおかずである。韓国の屋台などでも売られているような揚げ物などが多い。
同氏によると、出前の注文先はお店というわけではなく、どこか一般の家庭で作られているようであった。このように、人民もおいしいものを求めて色々追求できるサービスが生まれているのが不思議なようであり、また新鮮でもあった。
金正恩氏も間近で撮影
さらに、同氏による写真は一般の人民の様子だけではなく、最高指導者や軍事パレードのような緊張感がみなぎる対象にもあった。100枚近くあった展示の中で、1枚だけ、最高指導者の金正恩(キム・ジョンウン)総書記(撮影時は委員長)のもあった。2017年4月に外国人記者の前で撮影が許可されたもので、撮影にあたり4時間前以上から待機、厳しい手荷物検査などが行われたという。約20メートル前のひな壇に他の幹部たちと一緒に並ぶ金正恩総書記の写真が際立っていた。
首脳会談の際など政府関係者以外の一般の人間がこれほど間近で、金総書記に接見できるのは貴重なことであり、それだけ同氏が両国のパイプのような役割をしてることも想像できる。他にも軍人が武器を携え、一糸乱れない行進するパレードの様子も間近で撮影されている。
これほど生きた北朝鮮の様子をカメラに収めた写真家は、なかなかいない。
最後に、北朝鮮の地下鉄の中で、無邪気な子供とその母親の様子の写真も印象深い。その様子を他の乗客たちが優しい眼差しで見ている。国連安保理などの厳しい制裁を受けながらも、人民の表情からはゆとりさえ感じられる。
同氏が企画協力・撮影した在朝日本人妻のドキュメンタリー映画「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。」も公開されたばかりだ。またこちらも鑑賞した感想をレポートしたい。
映画「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。」予告編
宮塚 寿美子(みやつか すみこ)
國學院大學栃木短期大學兼任講師。2003年立命館大学文学部卒業、2009年韓国・明知大学大学院北韓学科博士課程修了、2016年政治学博士取得。韓国・崇実大学非常勤講師、長崎県立大学非常勤講師、宮塚コリア研究所副代表、北朝鮮人権ネットワーク顧問などを経て、2014年より現職。北朝鮮による拉致被害者家族・特定失踪者家族たちと講演も経験しながら、朝鮮半島情勢をメディアでも解説。共著に『こんなに違う!世界の国語教科書』(メディアファクトリー新書、2010年、二宮皓監修)、『北朝鮮・驚愕の教科書』(宮塚利雄との共著、文春新書、2007年)、『朝鮮よいとこ一度はおいで!-グッズが語る北朝鮮の現実』(宮塚利雄との共著、風土デザイン研究所、2018年)、近共著『「難民」をどう捉えるか 難民・強制移動研究の理論と方法』(小泉康一編者、慶應義塾大学出版会、2019年の「「脱北」元日本人妻の日本再定住」)など。
最終日は3回写真説明を行う盛況ぶり
最終日は3回写真説明を行う盛況ぶり
今回の「伊藤孝司 写真展 平壌の人びと」は、8月24日から9月5日までギャラリーTEN(東京都台東区)で開催された。
主催者によると開催期間中におよそ400人が来場したとのこと。4日に全国紙朝刊で紹介されたこともあり、4日の午後、最終日の5日はさらに来場者が増え、最終日、伊藤氏の写真説明は3回実施され、多くの来場者が興味深そうに伊藤氏の話に耳を傾けながら写真を鑑賞していた。
展示されていた写真の一部は、伊藤孝司氏のブログ(平壌日記 PYONGYANG DIARY)で見ることができる。