空手道や茶道などの道とは?
テコンドーの歴史も2千年? 空手の親? 消された創始者(1/3)の続き。
空手道や柔道、合気道、華道、茶道など道とは、戦うのは相手ではなく自分自身。己と向き合い、鍛錬、稽古を積み重ねることで日々成長することを目的とし一生涯終わるものではない。
また、創始者からの教えを受け継ぎ、正しく後輩や弟子へ伝え、創始者のそのまた先生や先達たちへも最大限の敬意を払うことも道とされる。
その1で紹介した大山倍達氏の直弟子の1人で、今も多くの弟子たちを指導する会長は、稽古中はもちろん、極真会館創始者である大山倍達氏の歴史、朝鮮半島出身者である大山氏がどのように空手と出会い、極真空手を作ったのかなどもよく話して聞かせる。
さらに空手自体の歴史にも言及し、現在のミャンマーあたりの山岳拳法を起源とし、中国大陸へ伝わり中国拳法へと発展。その後、中国南部拳法が沖縄へ伝わり、琉球唐手となり、それが空手へとつながっているという道を教える。
以前、取材で極真会館の道場見学をさせてもらう機会があったが、会長が話す道についてを考えさせられたことを思い出す。
創始者や歴史について教えない
では、2000年の歴史を持つというテコンドーは、どう教えているのだろうか。テコンドーは、極真の大山倍達氏も稽古した松濤館流空手を源流として空手の中でも足技に重きを置いて発展させたものだ。ちなみに、松濤館流空手の船越義珍氏が唐手を空手とするなど近代空手の祖と言われる。
「2000年代前半にテコンドーを習うと武道というよりも集団でのスポーツジムのような雰囲気に近く、それもあってか女性も多く気軽に参加できました。それはそれでいいと思いますが、先生から創始者やテコンドーの歴史について教えられた記憶はないですね」(テコンドー経験者)
今はどうかを現役のテコンドーの日本人コーチへ尋ねると、大きくは変わっていないとのことだ。
前出のテコンドー経験者が、その後、合気道の稽古をすると、まったく異なっていた。道場には創始者の写真が飾ってあり、稽古前には全員正座して写真へ向かって礼をする。稽古後には、再び全員で正座し向き合い合気道の歴史や原則や言葉を唱和する。並行して関連書物を読み、さらに学びを深めていったという。
崔泓熙氏が1955年創始
崔泓熙氏が1955年創始
全日本テコンドー協会(AJTA)によると、テコンドーは、漢字では跆拳道と表記する。踏む・蹴る・跳ぶ、拳(こぶし)で突く、正しき道を歩む精神を表しているという。
テコンドーは、1955年に正式に命名されたもので、“正しい歴史”は61年ほどとなる。 AJTAにはテコンドーの創始者として崔泓熙(チェ・ホンヒ)氏の名前もしっかりと紹介されている。
60数年経過した現在、親である空手を上回る発展をしたことは素晴らしいことだと思う。まさに道の世界における「守破離」を体現しているようである。