将来へ不安を感じてパリの韓国大使館へ
北朝鮮エリート留学生が脱北 驚くべき自由なフランス生活だった(1/2)の続き。
Cさんは基本的に単独行動できたので、夕方、パリ市内の韓国大使館へ足を運んだ。受付で、「私は朝鮮人です。韓国へ行きたいのですが…」とそのまま伝えた。すると、「今日は受付時間は終わっているので、明日また来てください」とビジネスライクに言われて、その日は宿舎へ帰ることに。
Cさんが運がよかったのは、この行動が北朝鮮関係者へバレなかったことだ。翌日、再び、韓国大使館を訪れると、今度は、奥から担当者が飛び出してきて、部屋へ案内された。
韓国大使館関係者は、昨日、報告を受けて驚愕して準備していたと話す。結果、Cさんはそのまま韓国へ脱北することになった。
Cさんは平壌でも裕福な家柄で生活が困窮していたわけではないようだ。ただ、自身の将来に不安を覚えたので脱北を決めて行動を起こしてる。
平壌でも飢えないし強い不満もない?
金正恩時代となり、金正日時代と比較すると脱北者数は減っている。要因は諸説あるが、90年代のように餓死しそうだとか、生活苦、生きるために命をかけて脱北する人は減っているのは確かなようだ。
今回の話だけを切り取ってしまうと、さも軽いノリで脱北したように思われるが、脱北理由も時代とともに変化していることを感じさせる。
「韓国生活はどうですか?」と尋ねると、Cさんは、「新しいことが学べて刺激的です」と答える。
同時に、おおよそ知っている範囲だったとも話す。それだけ、北朝鮮で生活しているときにすでにある程度の韓国情報を見聞きしていたとのことだった。
パリの大学でも同級生に韓国人がいた。話はしたが、別段、韓国が特別な国とか、憧れを抱くことはなかったという。Cさんが理数系なのでちょっとクールなのかもしれない。しかし、地方ならいざしらず、現在、平壌のそこその家柄の出身であれば、北朝鮮で生活に困ることも、強い不満を抱くとは少ないのかもしれないと分析する研究者もいる。
限られた環境でできる限りの幸せを希求する
限られた環境でできる限りの幸せを希求する
一般の北朝鮮人たちは、元々インターネットへ接することはできない。そのため、名前くらいは知っていても「ユーチューブ」がどんなものかも想像もできないだろう。当然ながら、〇〇選択の自由など個人の権利も体験していないので、制限された社会でこんなものかと思い大きな不満を抱くことはないのかもしれない。
限られた環境の中でただ人々はできる限りの幸せを求める。制限や抑圧の大きさは異なるが、現在の中国でも同じことが言える。人間、不自由な社会から自由な社会へ出ると幸福感に満ち満ちてあらゆるものがキラキラ輝いて見えるに違いない。しかし、逆だとどうだろうか。
たとえば、まさに今の香港のように、一度、ある程度の自由を味わった人たちが突然、不自由な環境へ置かれたらどう感じるか。恐らく、とてつもない不幸感と刑務所に入れられたような束縛感に満ち溢れるのではなかろうか。
そんなことをCさんの話を聞いて感じた。