留学先のパリから脱北した男性
「脱北した理由ですか?うーん、ただなんとなくです」
この答えに多くの人たちは呆気にとられた。もっと切実な命がけな脱北理由を期待していたからだろう。
この話をしたのは留学先であるフランスのパリから脱北した現在20代後半になるCさん男性だ。Cさんは、現在、ソウルに住んでいる。おとなしい感じで、あまり多弁でもない。見た目はどこか藤井翔太七段に似ている。
脱北者の8割ほどは女性と言われる。男性のしかも20代男性脱北者の話を聞くのは初めてだった。
張成沢プロジェクト・貴重な理数系学科への留学
Cさんがが留学したのは、北朝鮮と日本やアメリカ同様に国交がないフランス。2013年末に粛清された張成沢氏のプロジェクトだった。
Cさんを含めて10人ほどの理数系学生が選抜されCさんは派遣元の意向でフランスで建築工学を学ぶことに。
「学科は私の意思では決めることはできませんでした」(Cさん)
Cさんのケースが特殊なのは留学先がフランス、加えて珍しい理数系だけではなかった。パリ到着後、入れ替わりで帰国する先輩留学生がブラザー制度のようにパリ生活のイロハを教えれてくれた。その後、各自でフランスで銀行口座を開設。その口座へ毎月の生活費がユーロで振り込まれたという。そこから必要に応じてATMから引き出して生活をしていそうだ。学費以外、宿舎の費用、生活費などはそこからやりくりした。
かなり自由な留学生活が一変
かなり自由な留学生活が一変
パリでの留学生活も驚くべきもので、1人部屋の宿舎と少し離れた大学へトラム通学。それ以外は自由行動が許されていたそうだ。パスポートは預けていたので国外へ出国することはできなかったが、かなり自由な環境だったことが分かる。
張成沢プロジェクトだったからか、選ばれた理数系留学生だったからはCさんも(他の北朝鮮人留学生の環境について聞いたことないので比較対象がなく)定かではないとのこと。
もちろん、定期的に生活総話はあり集まっていた。しかし、それ以外はそれほど窮屈な感じはなかったそうだ。
Cさんの状況が一変するのは、2013年12月に留学プロジェクトのトップであった張成沢氏が粛清されたことだ。2014年に入ってから留学途中の学生が1人、2人と帰国させられ始めた。
春になりどうやら張成沢氏が粛清されたらしいという口外できない噂を耳にした。Cさんは、「張成沢氏が粛清されたということは、自分たちは帰国しても国家の第一線へ配属されることはない」と感じた。
そのときにCさんは自身の未来にあまり希望が持てそうもないので脱北しようと思った。
(続く)