2000年初頭の歌舞伎町は韓国系風俗が花盛りだった
新宿歌舞伎町はアジア最大の歓楽街だ。24時間眠らない街、いわゆる“不夜城”として有名だが、今からちょうど20年前、2000年頃の盛り場は大いに賑わっていた。石原都知事による浄化作戦が行われる前であり、店舗型の風俗店がテナントビルの中にビッシリと詰まっていたのだ。その中には、韓国系のエステやクラブも多かった。
特に韓国エステはそこらじゅうにあり、歌舞伎町の小路に入れば韓国エステに当たる、といった感じであった。マッサージやアカスリ、按摩があり、最後にヌキがあるのが常で、それなりに賑わっていたものだ。
何度も取材に行ったが、アガシたちはみんな若くてかわいかった。一方の韓国クラブは飲んで1万円、連れ出して3万円と高値で、ドレスアップした美人と飲めた。コマ劇の裏や風林会館の向かいに店があり、それなりに繁盛していた。店内は混沌としており、そこでお酒を飲んでいると、“アジアの魔窟”にいるようであった。
韓国パブは素人娘の花園。簡単に店外デートに成功
韓国パブは素人娘の花園。簡単に店外デートに成功
歌舞伎町の少し北側のラブホ街の奥には韓国パブが密集していた。歓楽街の中心にある韓国クラブとは違い、私服姿の素人娘と格安で気楽に飲めることが人気だった。
働いている女のコたちは、昼間は日本語学校に通っている留学生や、東京で暮している親戚を頼って来日したウブな娘が多く、ごく普通の韓国の若い女性ばかりだった。何度か通うと、すぐに親密な仲になり、日本での思い出を作りたい女のコたちと簡単に店外デートができた。彼女たちは毎日の単調な生活に退屈していた。刺激が欲しかったようだ。短期滞在ビザの期限が切れて帰国するまで、束の間の恋人になってくれた。
東京のデートスポットでもっとも喜ばれたのは浅草で、人力車に乗って観光名所を周遊すると、無邪気にはしゃいでいた。新宿で映画を観たり、箱根へ温泉旅行に行ったりした。今、思い返すといい思い出である。
世界同時不況後に大減少。現在の主流はデリヘルに
世界同時不況後に大減少。現在の主流はデリヘルに
最盛期には、韓国系のアダルトDVDボックスまであった。個室ビデオの室内で韓国製のエロビデオを観て楽しむというものだ。2000年代前半の歌舞伎町は、まさに韓国系風俗が百花繚乱している感じであった。
しかし、2000年代半ばの浄化作戦と、2010年代初頭のリーマンショック後の世界同時不況で、それらは一気に吹き飛んでしまった。店舗型エステは中国系に入れ変わり、韓国クラブもパブも減少、DVDボックスは消滅と、もはや跡形もない。
現在は、デリヘルが主な遊びとなっている。ネットで検索して店を探し、ラブホへ呼ぶスタイルだ。隣の新大久保が韓国ドラマやK-POPの聖地として賑わいを見せるのとは対照的に、歌舞伎町の韓国系風俗の存在感はもはやほとんどない。21世紀初頭の20年間の歌舞伎町の韓国系風俗の栄枯盛衰は、日本経済のそれをそのまま鏡に映し出しているようだ。
取材・文 イコマ師匠
1973年愛知県安城市生まれ。『俺の旅』シリーズ編集長。徹底した現場取材をモットーとし、全国の歓楽街を完全踏破。足掛け15年間出版社に勤務した後、『俺の旅』の商標権を持って独立。現在はフリーの編集記者として活動中。書店売りのムック本、さまざまな雑誌やウェブサイトの中の記事、自らのツイッターなどで『俺の旅』を継続している。
@ikomashisyo