焼肉は韓国発祥?
「本場韓国の美味しい焼肉をたくさん食べて満足!」なんて旅の感想を聞いたことないだろうか。
日本各地の繁華街へ行くと数軒は目にする焼肉店。すでに日本では国民食と言ってもいいほど定着している焼肉。もしかすると、その本場は韓国、韓国生まれの食べ物と思っている人もいるのではないだろうか。
その認識は、半分正しく、半分間違っている。なぜなら、現在の焼肉と呼ばれる食文化は、戦後の日本生まれだからだ。作り出して普及させたのは、在日朝鮮、韓国人たちによる。
つまり、焼肉は、朝鮮半島発祥ではない。そのため、半分正しく、半分間違っているというわけだ。
戦後、食べていなかった部位のホルモン焼きから始まる
焼肉の歴史は、宮塚利雄著『日本焼肉物語』(太田出版、2005年に光文社より文庫版として出版)に紹介されている。
日本焼肉物語によると、焼肉の誕生は、終戦直後の食糧難の時代。在日朝鮮人たちがホルモン(内蔵肉)を網で焼いて食べていたことから始まったとされる。戦前にもホルモンはあったが、食べずに廃棄されていた部位だった(1930年代半ばには、ホルモンを使った料理は存在していたようだが、ホルモン単体で焼いて食べるというものではなく、食材として使われていた)。
ホルモンを焼く香ばしい匂いにひかれて日本人も食べ始めたことから現在の焼肉スタイルが確立されていく。
南北分断で焼肉の名前も韓国焼きと朝鮮焼きに分断
牛肉を始めとする肉を食べる食習慣が日本へ入ってきたのは幕末から明治初期で、明治時代には、牛肉を醤油ベースのタレで煮込む和洋折衷なすき焼きなどとして広がり、アメリカ風の厚切りビーフを焼き上げてフォークとナイフで切って食べるステーキなども上陸している。それでも、一口サイズの薄めの肉を自分たちで焼いて好みのつけダレで食べるという現在、私たちが知る焼肉とは異なるものだった。
「焼肉」という名称も発祥当時はなかった。当時は、朝鮮焼き(朝鮮料理屋)やホルモン焼き(ホルモン屋)と呼ばれていたからだ。
焼肉の転換期は、朝鮮半島の南北分断と朝鮮戦争、休戦となり、朝鮮半島に2つの国が対峙することになり、日本の在日朝鮮人社会でも南派と北派へと分断していく。その結果、大韓民国(韓国)を支持する人たちは、韓国焼きと呼び、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支持する人たちは、朝鮮焼きなどと呼ぶようになる。
さらに、1965年(昭和40)の日韓基本条約締結により、これまでの屋号、記号的だった朝鮮籍から正式な国籍となる韓国籍へ変更する人が増え始める。それもあり南北焼肉闘争もより激しくなった。
昭和40年代にコリア語から焼肉誕生。あっさりつけダレで肉そのものを楽しむ
昭和40年代にコリア語から焼肉誕生。あっさりつけダレで肉そのものを楽しむ
日本焼肉物語には、興味深い話が紹介されている。昭和30年代の電話帳を調べると、「焼肉」という店名が1軒も載っていない。そう、ここで日韓の国交樹立後についに焼肉という言葉が誕生することになる。
朝鮮焼き(朝鮮料理屋)や韓国焼き(韓国料理屋)、ホルモン焼き(ホルモン屋)という言葉が混在して複雑になってきたので、コリア語(韓国・朝鮮語)で肉を焼くという意味のプルコギから焼肉という漢字を料理名に使い始める。その結果、昭和40年代半ばごろには、電話帳は、〇〇焼肉という店名で埋まることになる。
こうして、肉をサガリやミノ、タン、ロースなど部位ごとに呼び、下味をつけない肉をそのまま焼いて、あまり自己主張が強くない様々なつけダレにつけて肉そのものの味を楽しむという焼肉スタイルが確立していくことになる。このつけダレをつけて食べるという習慣(冷ましたり、一呼吸を置く)は、日本独自の食文化から生まれたものとされる。
よって、焼肉とは、日本生まれで朝鮮半島へ里帰りして現在の韓国スタイルの焼肉となり今にいたっている食文化なのだ。