2012年初頭に動き出した丹東ソフトウェアパーク計画
中国が建国されてから経験したことない不景気のど真ん中に沈む遼寧省。まだ景気が急降下する前の2012年旧正月明けの中朝国境の丹東で今からすると信じられないような夢のプロジェクトが動き出していた。
丹東で国内外のIT企業を誘致して集結させる丹東ソフトウェアパーク計画だ。丹東では12年に入ってからソフトウェアパークへ進出する企業向け説明会が行われていた。特に同じ遼寧省の大連へ進出している日本企業への参加を熱心に呼びかけていた。
当時、丹東では、王力威副市長がプロジェクトリーダーを務めていた。
まだ寒い時期の丹東で日本企業向けの説明会が開催された。大連に制作現場を設けて日本向けにシステムやホームページを作っている会社からCEOと日本人現場リーダーの2人が説明会へ参加していた。
日本語が通訳より流暢な王力威副市長
彼らは、日本の中小企業から発注を受けて大連の制作現場で中国人スタッフが作り上げて日本の顧客へ納品するアウトソーシングビジネス(オフショア・BPOとも呼ばれる)というビジネスモデルの企業だった。大連は、日本向けのコールセンターやバックヤードオフィス、データ入力、システム構築、ホームページ制作など様々な業種、業務のアウトソーシングビジネスの1大集結基地として知られていた。
日本企業が数十社が集まった説明会では、王力威副市長が、通訳を通しながらプロジェクトの概要や将来性を説明した。途中、王副市長の意図通りに通訳されないと感じたのか、王副市長は、「本来はこのような場ではダメなんですが」と前置きをして、自身で中国語と日本語で説明し始めた。
王力威氏は、丹東の姉妹都市である徳島への留学経験があるため日本語が流暢であった。その場にいた人は、通訳より王副市長のほうが流暢だったので驚いたと話す。高い日本語能力を持つ王副市長は、通訳の語学力を判断できたので通訳を通さずに話したようだ。
本来、中国でも日本でもそうだが、特に政治家などの公人は、公の場では、その国の言葉で話し、通訳を介することが一般的とされる。
丹東ソフトウェアパーク最大の魅力は北朝鮮人材の活用
丹東ソフトウェアパーク最大の魅力は北朝鮮人材の活用
丹東ソフトウェアパーク計画は、IT系の企業を中心に集める計画ではあるが、それだと大連のソフトウェアパークとあまり変わらず日本からの直行便の数などの利便性や設備など競争にはとても勝てない。
しかし、ここへ丹東ならではのユニークな点が存在していた。それは、北朝鮮人材の活用であった。
たとえば、日本向けのシステム開発であれば、決められたデータ入力やテスト業務など高度な日本語が必要ではない作業を北朝鮮人材や中国人材へ任せて、彼らへの指示などリーダー的な役割を日本人や経験あるに中国人が担うという日本、中国、北朝鮮人が1つの空間で共同作業をするというまさに夢のプロジェクトだったのだ。
(続く)