北朝鮮70年の歴史を4期に区分して振り返る

北朝鮮70年の歴史を4期に区分して振り返る

朝鮮半島

北朝鮮70年の歴史を4期に区分して振り返る

 10月13日、「朝鮮文化研究会」は、千代田区の貸会議室内海において第15回講演会「朝鮮民主主義人民共和国における朝鮮史研究の歩み-近現代史を中心に」を開催した。今次講演会では康成銀氏(朝鮮大学校朝鮮問題研究センター長)が講演を行った。

 講演の冒頭、康氏は「今年は朝鮮半島に2つの分断国家ができて70年になる。おりしも朝鮮半島では歴史的大転換の時代を迎えつつある。この情勢を理解するためには、その背景となる70年間の歴史を踏まえて、見ていく必要がある。そのような視点から、朝鮮民主主義人民共和国の歴史研究の歩みを振り返り、現在の動向の歴史的必然性、これからの平和・繁栄に向けての歴史認識の課題を考えてみる」と講演の狙いを説明した。

 康氏は、朝鮮民主主義人民共和国(以下、講演内容を示す太字以外は北朝鮮)誕生から現在までの70年間を、朝鮮労働党中央委員会の報告や内閣決定、研究成果として発表された『歴史科学』などに掲載された論文や『朝鮮通史』等の通史などをもとに4期に区分し、北朝鮮の歴史研究の歩みを振り返った。以下、康氏が述べたそれぞれの時期の特色である。

 共和国史研究の歩みの第1期は、1945年から1952年までの「民族文化建設と新学問(ソ連理論)導入」期である。

 解放直後、共和国では研究者や学術研究の土台・史料が不足しており、歴史研究の土台作りのために、ソ連に留学生を派遣したり南朝鮮から科学者・技術者・専門家を招請したりして、金日成総合大学創立の準備が行われた。この時期は、南朝鮮からの越北者が歴史研究の基礎をつくった。共和国はこの時期を、「解放後、歴史学徒たちは”ソ連に向かって学べ“という党の号召を受け、マルクス・レーニン主義古典の学習とともにソ連学界が達成した成果を熱心に学習した。とくに『ソ連共産党歴史(簡略読本)』と『レーニン主義諸問題』等は解放直後わが歴史学徒に大きな援助となった。ソ連共産党機関雑誌『ボルシェビキ』(現在の『コミュニスト』)と歴史学界の月刊雑誌の一つである『歴史諸問題』等、ソ連の科学理論雑誌と教科書、単行本が青少なわが学界の理論水準を高めるために果たした役割は大きかった」(「歴史科学」1960年第6号から引用)と評価している。
 
 第2期は、1952年12月から1967年までの「研究体制の整備と朝鮮歴史学の模索(主体理論の重視)」期である。

 この時期には、金日成の唯一領導体制が確立されていく過程で党内思想闘争(=反宗派闘争)が起こった。1952年12月15日の朝鮮労働党中央委員会第5次全員会議では、「マルクス・レーニン主義をわが国の現実と結び付けて研究しなければならない」とし、その後全党的な思想闘争がおこなわれた。その過程で朴憲永、李承燁、林和らいわゆる「火曜派」が「政府転覆陰謀事件」により摘発され、粛清された。1956年8月の党中央委員会8月全員会議では、「延安派(ML派)」が更迭され、「マルクス・レーニン主義を創造的に学習し、わが国の現実に結びつけ、その理論を研究発展していく事業に一層大胆性を発揮しなければなりません」という決定がなされた。そして、1958年3月の第1回朝鮮労働党代表者大会では、反宗派闘争を総括し、勝利を宣言した。

 この時期の研究成果としては、史料収集と古文献の復刻・翻訳や朝鮮歴史の時代区分などが行われたことなどが挙げられる。
 
 第3期は、1968年から1970年代までの「主体的歴史学の確立」期である。
 
 1967年5月の党中央委員会第4期第15次全員会議では、「米帝の思想文化攻勢による党内の修正主義的傾向と南朝鮮、祖国統一に対する右傾投降主義的傾向を批判」し、「党の唯一思想体系を確立する。そのためには、主体思想教養、党政策教養、革命伝統教養を強化し、全党、全国、全軍が党中央の唯一的領導下で一つのように動く強い組織規律を立てる」ことが決定され、主体思想が確立した。1974年2月には、「金正日同志が党中央委員会政治委員会政治委員に推戴」され金日成主席の後継者としての地位を確立した。
 
 歴史学界では、1968年以後、社会科学院各研究所の機関誌刊行が停止され、この時期の共和国の歴史研究について詳細は不明である。70年代以降、共和国では現代史の再検討が行われ、領袖・党・人民の三位一体の原則を方法論として、現代史の始点を1926年10月17日の打倒帝国主義同盟(とぅどぅ)の結成からと見るようになり現在に至っている。また、1970年に発表された「朝鮮におけるブルジョア革命運動」(『歴史科学論文集』1、社会科学出版社)では、甲申政変がブルジョア革命であるという説を唱えているが、その後、1984年12月4日の『労働新聞』に掲載された12月3日の「甲申政変100周年科学討論会」では、ブルジョア改革説に戻っている。

 第4期は、1980年代以後で「朝鮮史の体系化と啓蒙的役割(朝鮮民族第1主義)強化」期である。

 1989年12月28日、金正日は党中央委員会幹部の前で「朝鮮民族第1主義精神を高く発揚しよう」という演説を行った。この演説の中で金正日は「わが領袖・わが党・主体思想・社会主義が第一という矜持と自負心を大切にし、主体革命偉業の完成のために力強く闘っていこう。朝鮮民族の偉大性についての矜持と自負心を大切にし、朝鮮民族の偉大性を一層輝かせよう」と表明し、この方針は後の統一運動における「わが民族同士」という民族自主性、民族共助のコンテンツにつながっている。
 
 歴史学界では、1968年以後中断されていた『歴史科学』が1976年以後復刊され、1986年には『朝鮮考古研究』が発刊されている。また、朝鮮史の体系化・整理が行われ、1993年には、檀君の遺骨が発掘され翌年には「檀君陵」が建設された。
 
 解放後から現在にいたるまでの朝鮮における歴史研究を振り返り、「共和国の歴史記述の変化として挙げられる例の1つは、朝鮮民族の形成に関する認識の変化である。1956年12月、共和国歴史家民族委員会と科学院歴史研究所の共催で行われた『朝鮮におけるブルジョア民族形成』に関する討論会では、『朝鮮民族の形成はスターリンの定義に沿って準民族からブルジョア民族へと段階的に構想されている。形成時期を1905年以後としている』とされていたが、現在では、『朝鮮半島から中国東北地方一帯にかけて、原人から古人、また新人に進化する過程で朝鮮古類型人が生まれた。青銅器時代(紀元前4000年期後半)に入り、朝鮮古類型人の中から現代朝鮮人および靺鞨(女真)が生まれた。紀元前3000年ごろ、大同江一帯に古代国家・「古朝鮮」(「前朝鮮」)の形成とともに単一血統の朝鮮民族の原型が形成された』とされている」と指摘した。
 
 今後の課題や展望について「共和国では政治変動と軌を一にして、ソ連理論=マルクス主義史観(第1期)→主体理論の重視(第2期)→主体的歴史学(第3期)→朝鮮民族第1主義(第4期)と歴史理論が変化している。2000年の『6.15南北共同宣言』発表以後、南北の歴史研究交流が進んだが、その後11年間中断することになった。しかし、今年の『板門店宣言』、『平壌共同宣言』では南北歴史研究交流を進め、来年の「3.1運動」100周年で記念行事を共同で開催すると明記された。

 再び押し戻すことができない平和と繁栄、統一の時代が始まった。この新しい時代に朝鮮の歴史学も新しい変化を見ることができるのではないかと考えている。共和国の歴史研究の課題としては、一国史的把握による国際的契機の軽視、発展的側面だけを浮き彫りにする方法論、研究者の養成・史料収集の不足による実証研究の不振などが挙げられる」と述べた。

 朝鮮文化研究会は最近月1回の頻度で講演会を開催している。次回、第16回講演会は10月26日に開催され、盧琴順氏(『朝鮮新報』写真部副部長)が「変わりゆく朝鮮-金正恩時代の6年を取材して」というテーマで講演を行っている。

立山達也

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