北朝鮮との仲介を日本社会党に依頼する韓国慰安婦団体
慰安婦問題は北朝鮮の核開発の裏で日韓離間工作のために利用されたの続き。
コリア国際研究所の朴斗鎮所長によると、韓国で民主化宣言が行われた1987年、のちに「挺対協」結成の中心となった韓国教会女性連合会の李愚貞(イ・ウジョン)会長が長崎で開かれた原水爆禁止世界大会に参加し、日本社会党傘下の日本婦人会議の清水澄子議長と会談した。
この時、李愚貞氏は、北朝鮮統一戦線部傘下の祖国統一民主主義戦線との連携について、清水氏にその仲介を頼んだという。
日韓分断工作に日本社会党が果たした役割
清水氏と李愚貞氏による1987年の密約は、その4年後に実行に移された。
1991年5月、日本婦人会議は「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」を東京で開催。これに北朝鮮側から祖国平和統一民主主義戦線の呂燕九(リョ・ヨング)議長が参加し、韓国側からは挺対協共同代表の尹貞玉(ユン・ジョンオク)氏が参加した。
アジアの平和と女性の役割シンポジウムはその年の11月、2回目をソウルで、翌1992年9月には3回目を平壌で開催、この時には、韓国代表団の李愚貞団長が金日成主席と会見している。
金丸・田辺訪朝団のあと、1991年1月から日朝国交正常化予備交渉が始まるが、この過程で北朝鮮は日韓分断をはかるために慰安婦問題に目をつけ、こうした政治状況の中で結成されたのが挺対協だったと朴斗鎮氏は言う。
そもそも慰安婦問題は、吉田清治の虚偽捏造から始まり、日本の女性運動・人権活動家や弁護士らが韓国で元慰安婦を探して日本政府を訴える裁判の原告にし、「性奴隷」などの言葉を真っ先に使って国際社会に訴えてきた問題でもある。
挺対協の成立と慰安婦裁判、それに日韓の分断を狙った挺対協と北朝鮮との連携に、日本社会党などリベラル勢力が深く関与していたことがわかる。
慰安婦運動は北朝鮮核開発計画の裏で推進された
ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授と早稲田大学の有馬哲夫教授が共同執筆し、今年8月、電子学術誌「社会科学研究ネットワーク(SSNR)」に発表した論文「Comfort Women: The North Korean Connection」(慰安婦、北朝鮮とのつがり)によれば、慰安婦問題は、北朝鮮が核・ミサイル開発を本格化させ、拉致問題が浮上するころになって突如問題となり、慰安婦運動は北朝鮮コネクションを持つ人々によって担われてきたという。
挺対協が結成された年は、北朝鮮が後ろ盾としていたソ連が崩壊した年でもあった。
北朝鮮は1980年代から核開発を進めてきたが、表面的には朝鮮半島の非核化を口にし、1994年の米朝枠組み合意や2003年の6か国協議など交渉に応じる姿勢を取りながらも、その裏では生き残りを賭け、核保有国への道を突き進んできた。
また、拉致問題が急浮上するのは、1987年の大韓航空(KAL)機爆破事件の工作員金賢姫(キム・ヒョンヒ)が拉致被害者の田口八重子さんから日本語を習ったと供述したことがきっかけだった。
「裏切り者、売春婦」尹美香氏
1992年、挺対協に幹事として関わり、のちに理事長となる尹美香(ユン・ミヒャン)氏は、長年、慰安婦運動を中心でけん引してきた人物だが、その夫は北朝鮮のスパイとして工作資金を受け取っていたとして懲役4年の実刑を受けるなど、北朝鮮と強いつながりがある人物でもある。
その尹美香氏は、1995年から始まったアジア女性基金からの見舞い金や2015年日韓慰安婦合意のあとに支給された支援金の受け取りを拒否するように元慰安婦たちに迫り、日本の支援金を受け取った元慰安婦に対しては「裏切り者、売春婦」と罵(ののし)り、「残りの人生は恥辱の中で生きろ」と言い放ったという(有馬・ラムザイヤー論文)。
慰安婦運動30年で尹美香氏が果たした役割
有馬・ラムザイヤー論文は、その結語で、「決定的に重要なのは、尹氏が北朝鮮寄りの活動家のネットワークの中心に立っているという点だ。
北朝鮮が積極的に核兵器を開発する間、彼女は30年間、韓国と日本を引っ掻き回してきた。彼女は誰よりも、韓国において日本に対する敵意を燃え上がらせる民族主義を執拗(しつよう)に煽(あお)ってきた。その過程で、彼女は日本との和解を阻止してきた。
事実上、彼女は北朝鮮の核兵器計画に対して両国が協調して対応するのを妨げてきた。そうすることで、彼女は北朝鮮の政権が必要としていたことを正確にやり遂げたのである」と結んでいる。
挺対協とその後身の正義記憶連帯が、水曜集会などを通じて訴えてきたことを見れば、その活動は慰安婦問題の解決や元慰安婦の待遇改善を目指したものではなく、逆に問題の深刻化、慢性化を狙い、問題が解決されずに大きくなり永久に維持されることだったことがわかる。
韓国という国は、北朝鮮の意向に沿って暗躍する挺対協や尹美香氏、それに「コリア連帯」や「反日行動」といった組織が存在する、実に不可解な国でもある。
小須田 秀幸(こすだ ひでゆき)
NHK香港支局長として1989~91年、1999~2003年駐在。訳書に許家屯『香港回収工作 上』、『香港回収工作 下』、パーシー・クラドック『中国との格闘―あるイギリス外交官の回想』(いずれも筑摩書房)。2019年から2022年8月までKBSワールドラジオ日本語放送で日本向けニュースの校閲を担当。「ノッポさんの歴史ぶらり旅」をKBS日本語放送のウェブサイトとYouTubeで発表している。