「日帝による強制動員」が前提条件
韓国 慰安婦運動30年の嘘 原書に込められた「真っ赤」の意味の続き。
韓国政府が「日本軍慰安婦被害者」として認定した登録者は240人で、そのうち生存者は今年5月段階で11人となった。この240人の中に「日本軍慰安婦被害者はたった1人もいない」というのが『赤い水曜日 慰安婦運動30年の嘘』の主題となっている。
韓国では「慰安婦被害者法」によって保護および生活安定支援の対象となっている「日本軍慰安婦被害者」とは、その第2条1項で「日帝によって強制動員され、性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強制させられた被害者のことをいう」と規定されている。
つまり、日本軍慰安婦被害者の前提条件は「日帝による強制動員」があったかどうかが核心となる。
強制動員のためには召集令状など命令書が必要
“日帝”とは「日本帝国」という公権力を意味し、仮に公権力が行う公務として慰安婦を動員したとするなら、そのための関連法令がなければならず、召集令状や出頭命令書といった文書を交付し、場所と時間を指定して動員する必要がある。
しかし、そんな関連法令や命令文書はどこにもない。
要するに、家で就寝中の女性や畑で働いている女性などを、いきなり誘拐、拉致するような方法で動員することはできないのである。
また、仮に慰安婦の動員に日本軍が関わっていたとすれば、戦地で戦っているはずの軍人が、わざわざ朝鮮にまで来て、女性たちを日本や台湾、満州まで連れて行って売春営業をしたことになるが、それは無断で戦線を離脱する行為であり、軍規軍紀に違反し厳格に処罰されるだろう。
慰安婦の証言にも強制動員を示す具体例はない
慰安婦の証言にも強制動員を示す具体例はない
現に、挺対協が慰安婦の証言を聞き取ってまとめた全8巻の慰安婦証言集(「強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」6巻と「中国に連行された軍慰安婦たち」2巻)には、日本軍によって強制的に連行されたことを具体的に示す証言は1つもなかった、と金柄憲(キム・ビョンホン)氏は断言する。
そもそも日本軍の慰安所が置かれたのは、戦地となった占領地域であり、戦地でもない満州や台湾に軍慰安所があることはあり得なかった。
慰安婦として最初に名乗りを上げた金学順(キム・ハクスン)氏は、14歳の時、母親によって平壌の妓生(キーセン)ハウスに40円で売られ、その3年後、キーセンハウスの主人によって満州の慰安所まで連れて行かれたと証言し、慰安所では兵隊ではない男の相手もしたと話している。軍人に限って出入りが許された軍慰安所でなかったことは明らかだ。
何が真実か?証言をコロコロと変える元慰安婦
また、水曜集会に参加し、慰安婦運動を引っ張ってきた李容洙(イ・ヨンス)氏は、台湾の「神風特攻隊」基地の近くの慰安所で働かされたとし、そこまで引率したのは「おやじ」と呼ぶ慰安所の主人だったと証言している。
これのどこが「日本軍による強制動員」なのか。しかも、1942年の時点では、まだ神風特攻隊という言葉自体が存在しない。
李容洙氏は、米議会やフランス議会でも「慰安婦」の経験を証言しているが、最初は「赤いワンピースと革靴をもらってうれしくなりついて行った」(証言集1 P124)と証言していた。
しかし、その後は「寝ているところを日本軍に連行された」「背中に銃剣を突きつけられ連行された」などと証言を変え、「強制連行」された年齢や場所、状況も証言するごとに違うなど、どれが真実かわからない人物でもある。
小須田 秀幸(こすだ ひでゆき)
NHK香港支局長として1989~91年、1999~2003年駐在。訳書に許家屯『香港回収工作 上』、『香港回収工作 下』、パーシー・クラドック『中国との格闘―あるイギリス外交官の回想』(いずれも筑摩書房)。2019年から2022年8月までKBSワールドラジオ日本語放送で日本向けニュースの校閲を担当。「ノッポさんの歴史ぶらり旅」をKBS日本語放送のウェブサイトとYouTubeで発表している。