サッカー日韓戦で問題となった旭日旗
韓国人の間で、旭日旗が“戦犯旗”として広く認識されるには、きっかけ(トリガーイベント)があった。
それは2013年7月28日、サッカー東アジアカップ最終戦の日韓戦で、試合が行われたソウル蚕室(チャムシル)総合運動場には、韓国応援団が「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた長さ40メートルもの横断幕を掲げたほか、試合前には安重根や李舜臣の巨大な肖像画が観客席に広げられた。
日本政府は、国際サッカー連盟(FIFA)が禁じている政治的主張に当たると抗議したのに対し、韓国外務省は、「日本のサポーターが旭日旗を振り、韓国ファンを刺激したのが原因」だと反論した。
しかし、旭日旗はキックオフ直後に日本の1人のファンによって振られたに過ぎず、3分後には撤去されていた。
さらに2017年には、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の川崎フロンターレと水原サムスンの試合でも、旭日旗が掲げられたとして、主催するアジアサッカー連盟(AFC)は、川崎に対しホームでの無観客試合と1万5000ドルの罰金を科す事態にまでなった。
2011年12月に慰安婦像が初登場
実は、「旭日旗=戦犯旗」問題が起きた2011年から12年という時期は、日韓の間に様々な問題が生じ、互いの国民感情を刺激する時期でもあった。
2011年は、東日本大震災が起きた年であり、その年の9月27日、韓国で行われたアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)準々決勝、セレッソ大阪VS全北現代の試合では、韓国側の応援席に「日本の大地震をお祝います(原文ママ)」と手書きされたポスターが掲げられた。
まだ避難所生活を送る多くの被災者がいる中で、遺族や被災者に向けられた心ない言葉だった。
その年の8月、元慰安婦による賠償請求訴訟を巡って、韓国の憲法裁判所は「韓国政府が解決に向けて外交努力しないのは憲法違反」だとする判決を出した。
慰安婦支援団体の挺対協が1992年1月以来、毎週行ってきた水曜集会がその年の12月、1000回を数えたのを機に、ソウルの日本大使館前の歩道に慰安婦の少女像が設置された。
外交関係に関するウィーン条約第22条では相手国政府は、「外交公館の安寧の妨害または公館の威厳の侵害を防止」する責務があると規定されている。
慰安婦像や水曜集会は、このウィーン条約の規定に明らかに違反しているが、地元の鐘路区役所は、その後、少女像を「公共造形物」に指定し、無断撤去できないようにした。
竹島上陸・天皇謝罪要求・第2時安倍政権・ノージャパン運動
さらに2012年には、李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸や天皇謝罪発言があり、一方、日本ではその年の9月、自民党総裁選で安倍晋三氏が返り咲き、12月には総選挙を経て第2次安倍政権が成立した。
韓国では安倍氏について「極右政治家」というレッテルを貼り、「歴史修正主義者」とする評価で固まっていた。
その後、日韓の間では首脳間の往来も途絶え、2019年夏に起きた韓国の「ノージャパン運動」は「ノー安倍運動」となり、隣国の首脳の退陣を要求するまでにエスカレートした。
こうした冷却化した2国間関係の一方で、韓国は世界有数の経済力を持つようになり、先進国入りしたという自信から、日本に対してなら何でも言えるという雰囲気が生まれていた。
小須田 秀幸(こすだ ひでゆき)
NHK香港支局長として1989~91年、1999~2003年駐在。訳書に許家屯『香港回収工作 上』、『香港回収工作 下』、パーシー・クラドック『中国との格闘―あるイギリス外交官の回想』(いずれも筑摩書房)。2019年から2022年8月までKBSワールドラジオ日本語放送で日本向けニュースの校閲を担当。「ノッポさんの歴史ぶらり旅」をKBS日本語放送のウェブサイトとYouTubeで発表している。