李明博大統領の竹島上陸で悪化した日韓関係
「ワールドカップで注目される?」旭日旗問題はわずか10年の歴史の続き。
実は、朴鍾佑(パク・チョンウ)選手がロンドン五輪で「独島はわが領土」と書かれた紙を掲げた同じ8月10日、李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸が行われていた。
さらにその4日後には、李大統領は大学の学生を前に、「日王(天皇の韓国独自の呼称)は、韓国民に心から土下座したいのなら来い、重罪人にふさわしく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる」と発言したとネット上では流布された。
この件は日本で「嫌韓」感情が一気に高まる契機となった。
また、ロンドン五輪の最終日、2012年8月12日には、韓国のニュースポータルサイトNEW DAILY に“チョンポンギ(전범기・戦犯旗)”という造語が韓国メディアとして初めて登場した。
神戸大の木村幹教授によると、同じ頃、ニューヨーク在住の韓国人らが主導して「日本の戦犯旗追放の為の市民の集い」(The Citizens Against War Criminal Symbolism=CAWCS)なる組織が結成され、はっきりとWar Criminal Flag(戦犯旗)という言葉を使って旭日旗の追放運動が始まっていた。
必要だった「旭日旗=戦犯旗」を浸透させるためのきっかけ
当時の米国では、すでにナチスのハーケンクロイツや南北戦争の南軍旗など人種差別にまつわる「旗」を追放しようという議論があり、韓国系の人々は、その中に旭日旗も取り込もうと画策していたのだという。
そうした米国内での動きについて、2012年8月24日付の韓国の文化日報は、「戦犯旗=旭日旗」という言葉を使って報告している。
これらは“戦犯旗”という言葉がメディアに現れた最初の例だが、それが一般に広く浸透するには、さらに、きっかけ(トリガーイベント)が必要だった。
それが2013年7月28日のサッカー東アジアカップ最終戦の日韓戦だった。
「日韓戦」ともなれば、絶対に負けられないと熱くなる韓国人にとって、スポーツの世界での対立は、国民感情を刺激し、民族情緒を沸点まで高揚させることにつながるようだ。
日本代表の激闘で盛り上がるFIFAワールドカップ(W杯)カタール大会でも日本や韓国の展開によっては、旭日旗問題が注目される可能性がある。
10年前のトリガーイベントがサッカーだったことを考えると、十分にあり得そうだ。
そもそも旭日旗と日章旗を区別すらできなかった韓国が、なぜ日本に対する国民感情を悪化させるほどの旭日旗排斥運動へ走るのか。
その基礎となる論理や背景などを今後、複数回に分けてを深掘りしてお伝えしていきたい。
小須田 秀幸(こすだ ひでゆき)
NHK香港支局長として1989~91年、1999~2003年駐在。訳書に許家屯『香港回収工作 上』、『香港回収工作 下』、パーシー・クラドック『中国との格闘―あるイギリス外交官の回想』(いずれも筑摩書房)。2019年から2022年8月までKBSワールドラジオ日本語放送で日本向けニュースの校閲を担当。「ノッポさんの歴史ぶらり旅」をKBS日本語放送のウェブサイトとYouTubeで発表している。