三豊百貨店崩壊事故は軍事政権のせい?
韓国の悪弊 梨泰院惨事を政争の具に 事故と政治の現代史を振り返るの続き。
セウォル号沈没事故よりも犠牲者が多かったのが1995年6月の三豊百貨店崩壊事故だ。
この事故では500人以上の市民が亡くなった。前年の1994年10月にはソウルの聖水大橋が崩落し32人が死亡した。大きな地震があったわけでもないのにビルや橋が崩れたのは「不実工事」(韓国語で手抜き工事として用いられる表現)が原因とされている。
当時は金泳三(キム・ヨンサム)政権下だったが、設計・施工はその前の軍事政権時代に行われた。
進歩的知識人の1人、池明観(チ・ミョンガン)は、この2つの事故について自身の著書で次のように述べている。
「このような事故は、ほとんどその設計から工事そして監理に至るまで、すべてが『不実工事』であった。工事費の節約、工期の短縮、下請け価格の削減、監理の不誠実。でき上がった建物の不法増改築。そのすべての過程を監督官庁は収賄によって黙認した。今まで、事故があってもこのような不正の連鎖によって処罰らしい処罰を受けていなかった。軍部統治とは、そのようなものだった」
仏像処分による“祟り”というデマも
だが、民主化運動の活動家出身の金泳三も無傷ではいられなかった。
実際、金泳三が大統領に就任した1993年2月以降、韓国では上記の2つ以外にも大型事故が立て続けに起きた。
1993年3月の釜山での列車転覆事故(78人が死亡)に始まり、同年7月にアシアナ航空機墜落事故(66人が死亡)、10月に西海(ソヘ)フェリー沈没事故(292人が死亡または行方不明)、1995年4月に大邱の地下鉄工事現場でのガス爆発事故(中学生など102人が死亡)などが連続した。
この時、金泳三にまつわる怪情報がまことしやかに流された。
青瓦台(大統領府)には、統一新羅時代に作られた「石仏坐像」が安置されていたが、クリスチャンである金泳三が大統領になって仏像を処分したため、その“祟り”で大型事故が頻発したというのだ。
実際には仏像は以前と同じ場所にあることが確認された。
政争の具にされる156人の犠牲者
今回も、政権に批判的な人々からさまざまなフェイクニュースが流されている。
ある野党寄りのジャーナリストはラジオ番組で「(現場は)2017年か18年ごろは一方通行だったが、今回は違った」と主張した。しかし、調査の結果、そのような事実がなかったことが判明した。
梨泰院雑踏事故への対応を誤れば政権の命取りになりかねないことは、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領も重々承知だろう。
事故から10日目の11月7日には、事故に関し国民に向けて謝罪した。同日、韓国警察庁は竜山警察署長、竜山区長、消防署長ら責任者を業務上過失致死傷などの疑いで立件した。異例の素早い対応である。
野党共に民主党は国家哀悼期間終了の翌日「追悼集会」を組織したが、プラカードには「尹錫悦退陣」の文字が躍った。
しかし、156人の若者たちは自分たちの死が政争の具にされることを望んでいなかったはずだ。
犬鍋 浩(いぬなべ ひろし)
1961年東京生まれ。1996年~2007年、韓国ソウルに居住。帰国後も市井のコリアンウォッチャーとして自身のブログで発信を続けている。
犬鍋のヨロマル漫談