1948年8月15日=韓国建国日が国際的認識だが
終戦後の朝鮮半島は、米ソ両軍によって南北に分断され軍政下に置かれたが、将来の独立は約束されていた。
米軍占領下の38度線以南では、独立運動家たちが国家樹立に向けて動き、様々な勢力が激しい抗争が起きる。
その中で力を得たのが、右派の民族主義者・李承晩(イ・スンマン)だった。
彼は米国暮らしが長く、米政府にも太い人脈がある。軍政当局も彼を中心とした独立国家を構想するようになった。
米国はソ連の反対を無視し、38度線以南の地で国連監視下による国会議員選挙を実施。その結果、当選した議員たちによる間接選挙で初代大統領・李承晩が誕生し、大韓民国政府の樹立が宣言された。
それが1948年8月15日のことであり、大韓民国が建国された日ということになる。
国際的な認識でもあるのだが…。しかし、韓国内にはこれに異論を唱える者が少なくない。
「大韓民国は1919年に上海で建国された」
「大韓民国」という国名は、それよりもずっと以前から存在していた。
1919年3月1日にソウルで朝鮮半島の独立を叫んで民衆が蜂起、騒乱は朝鮮半島全土に波及した。
海外で暮らす朝鮮人たちの間でも独立の機運は盛り上がり、翌月の4月10日には、中国・上海に亡命していた運動家たちによって「大韓民国臨時政府」の樹立が宣言された。
日韓併合以前に存在した大韓帝国を継承し、帝政から共和制の民主国家に生まれ変わったという意味で「民国」としたもの。朝鮮半島の内外で活動していた各勢力もこれに賛同し、多くの支持を集めた。
上海の旧フランス租界には、大韓民国臨時政府樹立の樹立された場所が史跡として残っている。
上海を訪れる韓国人観光客の間では、最も人気の観光スポットであり、韓国語をしゃべる団体がひっきりなしにやってきては、スマートフォンで撮影しているというから、韓国ではかなり注目されてもいるようだ。
テロ組織化する臨時政府
実はこの時にも、李承晩は臨時政府の首班に指名されている。
当時の彼は、米国亡命中でハワイに在住し、すでに米政界に人脈があったようだ。
李は自らの人脈を駆使して国際連盟による朝鮮半島の委任統治を実現させ、まずは日本の支配から脱却するという青写真を描いていた。
しかし、彼は臨時政府内の抗争に敗れて1925年には弾劾されて辞職。構想は崩壊する。
その後の臨時政府はテロ組織化し、上海で催された天長節(天皇誕生日)の祝賀会場で爆弾テロを起こしている。
上海では、日本の治安当局の摘発により、臨時政府の活動は衰える。
しかし、中国国民党政府の臨時首都・重慶に逃れて組織は維持され、終戦時も100人を越える大韓民国臨時政府職員が在籍していた。
大統領選で建国記念日変更の夢がついえる
この大韓民国臨時政府が成立した1919年4月10日こそが、本当の建国の日だと考える者が左派勢力には多い。
1948年の大韓民国政府樹立は、南北の分断を招いた忌まわしい日であり、朝鮮人が初めて独立を宣言した1919年こそが建国記念日にふさわしい、と。
2017年8月の建国式典で文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、
「2年後には建国100周年を迎える」
と、演説したこともある。確かに、大韓民国臨時政府発足から数えれば100年なのだが…、左派の心情を代弁するような大統領演説は、韓国内で物議を醸した。
また、文政権は「1919年を建国の日」に制定する法改正も画策している。
もしも、今年3月の大統領選で文政権を継承する左派が勝利していれば、韓国史が書き換えられるような事態が起きていたかもしれない。
青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社)、近著『明治維新の収支決算報告』(彩図社、2022年)。「さんたつ by 散歩の達人」で連載中。