この1000年間ずっと日本が加害者だったのか?
「加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わらない」
2013年に朴槿恵(パク・クネ)大統領が、3.1独立運動記念日で行った演説の一節である。
これまでの大統領たちと比べてかなり強い言葉で、日本による過去の支配を非難した。それが両国で大きな話題にもなっている。
当時は、慰安婦問題を解決済みとする日本側と、さらなる譲歩を求める韓国側との溝は埋まらず、交渉が行き詰まっていた。
被害者の立場をことさら強調して日本に譲歩を迫り、今後の交渉を有利にしようという意図があったようである。
加害者は1000年も反省を続け、被害者に謝罪と譲歩しなければならない…。ということだろう。けど、この1000年間ずっと日本だけが加害者だったのか。
歴史をさかのぼってみると、朝鮮半島の軍勢が日本を侵略したこともある。
朝鮮軍に蹂躙(じゅうりん)された日本領内では、数々の残虐行為が行われた。それは韓国側が主張する日本支配時代の蛮行が生易しく感じるものだった。
高麗王は日本侵攻に大乗り気
ユーラシア大陸の大半を支配化に置く元帝国は、日本にも朝貢を迫ってきた。が、鎌倉幕府は拒絶。その結果、1274年と1281年の2度にわたり元帝国の大軍が博多湾に襲来、文永・弘安の役が起きている。
この戦いには、すでに元の属国となっていた朝鮮半島の高麗からも大量の軍船や兵士が動員された。
1274年の文永の役では、元軍の総兵力約4万人と推定のうち、高麗軍は水夫を含めて1万3000~1万4000人。軍船や兵糧など多くの支援も行っている。
また、弘安の役でも、先陣を切って博多湾に来襲した東路軍は、その半数近い数を高麗の兵士や水夫が占めていた。
侵略してきた軍勢の主力は高麗軍。しかし、歴史に詳しい韓国人にこの話をすると、「属国として支配された状況では元に逆らえず、命令で仕方なく従って参戦した」
と、必ずこんな言い訳が聞かれる。
しかし、「高麗史」には、高麗の忠烈王が元皇帝フビライに、日本を軍事攻撃して属国とするようあおり、自ら先鋒を志願する記述が見つかる。
また、1度目の日本侵攻に失敗した後にも「もう1度、日本を攻めましょう」とも発言している。
当時、元帝国の基本戦略は中国南部の安定にあり、小さな島国など放置すべし。と、侵攻に反対する意見が多かった。その中にあって高麗王の対日強硬姿勢は目立つ。
命令でやむなく参戦したというよりも、むしろ、日本侵攻を主導した1人だったと考えられるのだが。
日本も謝罪と賠償を求めるべきでは!?
文永・弘安の役では、戦場では高麗軍将兵の残虐行為も目立つ。
高麗軍によって制圧された対馬や壱岐など玄界灘の島々では、島民の虐殺や略奪行為が横行した。
拉致した島民をひもで数珠つなぎして舷側に並べ、日本軍の弓矢から船を守る盾に使ったというのは有名な話。
また、虐殺を逃れて生き残った者たちは朝鮮半島に強制連行されて、奴隷として高麗王に献上された。
弘安の役では、暴風で船を失い逃走できず捕虜となった元軍将兵が大勢いた。この時、南宋(中国人)の将兵は赦免されて丁重に扱われたが、高麗兵やモンゴル兵はすべて処刑されている。住民虐殺に対する日本側の怒りがすさまじかったことがわかる。
さて、この時の高麗軍による島民虐殺や強制連行などについて、現在まで日本は1度も謝罪を受けたことがない。
すでに741年が経過している大昔の話ではあるのだが…、加害者と被害者の歴史が1000年変わらないのであれば、時効となるまでにはまだかなりの時間がある。
この件に関して「日本は韓国に謝罪と賠償を要求しても、良いのでは?」
青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社)、近著『明治維新の収支決算報告』(彩図社、2022年)。「さんたつ by 散歩の達人」で連載中。