強制動員で戦犯になった“二重の被害者”
8月15日の光復節(日本では終戦記念日)が近くなると、韓国では日本による過去の植民地支配に関連する話題が盛んに報道され、シンポジウムなどもあちこちで開催される。毎年見慣れた光景だ。
最近は慰安婦や徴用工に加えて、BC級戦犯として罪に問われた朝鮮半島出身の元「軍属」のこともよく話題になるという。
日本軍占領下の東南アジアに設置された捕虜収容所では、捕虜監視を目的に朝鮮半島出身者を軍属として雇用していた。その中には、捕虜虐待などの罪状で戦犯となった者が多く、中には処刑された者もいるという。
しかし、日本政府はそれに関して何の補償もしていない。
彼らは強制動員に加えて戦犯として裁かれた“二重の被害者”だったとして、日本に謝罪と賠償を求める動きもあるとか。
徴用工問題がいまだ未解決の状況で、日韓の歴史問題に新たな火種ができそうな…、嫌な予感がしてきた。
日本軍には12~15万人の朝鮮人軍属がいた
軍属とは、軍隊に雇われ、軍事基地や軍艦に乗り込んで仕事をする民間人のこと。将校の食事を作るコック、理容師などがそれにあたる。
他にも通訳、運転手、大工、一般事務など様々な職種の軍属がいる。1937年には、「野戦酒保規程」が改定され、軍隊内の酒保での慰安所設置が認められた。つまり、慰安婦も軍属ということになる。
ちなみに、公安調査庁が公表した資料によれば、軍務での朝鮮人動員数は陸海軍合計36万4186人。そこから軍人を除いた軍属の数は12~15万人と推定される。
軍属の動員は募集に応じた者に加えて、官斡旋や徴用により集められた者もいる。
動員方法は、民間工場の朝鮮人労働者と同じ。そこに違法な「強制」があったのか、それとも当時の法にのっとり「日本国民」としての義務を科された結果なのか。日韓でその判断が分かれているのもまた同じだ。
3000人の朝鮮半島出身の捕虜監視員
太平洋戦争開戦時に日本軍は東南アジアのほぼ全域を占領し、そこに駐留していた約30万人もの連合国軍兵士を捕虜として抱え込んだ。
設置された捕虜収容所の数は200以上になる。
捕虜収容所の管理・運営は、軍人だけではとても手が足りない。そこで2年契約で大勢の軍属を雇い入れ、捕虜監視員として東南アジアに送り込んだのだが。その中に約3000人の朝鮮半島出身者がいた。
捕虜監視員の比率は、内地出身者よりも台湾や朝鮮半島出身者が圧倒的に多かった。
赴任先が戦地であり、看守という仕事も敬遠される。貧困や求職難など止むに止まれぬ事情で募集に応じたのだろうが…。あくまで、応募に応えて自発的に軍属となったものだ。
この頃は、まだ徴用は行われておらず、強制された二重の被害者とは言えない。
朝鮮人BC級戦犯の9割以上が捕虜監視員だった
占領下の軍事裁判では、被告側が不利益を被ることが多かった。
相手の誤解から虐待認定され、理不尽な罪を着せられたのは朝鮮人だけではない。日本人や台湾人の看守にもそういった例は数えきれない。
捕虜と接する機会が多い監視員は、恨みを買いやすく損な役回りだった。
BC級戦犯として被告となった者は約5700人。そのうち台湾人が173人、朝鮮人は148人になる。
また、朝鮮人のBC級戦犯の9割以上にもなる129人が、東南アジアなどの捕虜監視員として雇われた軍属である。
サンフランシスコ講和条約発効後、朝鮮半島出身者は日本国籍を失った。それでも日本政府は元軍人や軍属への恩給を支給している。
が、戦犯については対象外だった。2008年の民主党政権下でこの問題が持ち上がり、元戦犯1人あたり300万円の給付を柱とした救済法案が国会に提出されたが合意には至らず。
軍人・軍属のうち戦犯となった者だけが、補償で差別を受けていることは間違いない。
しかし、1965年の日韓請求権協定で元戦犯を含む韓国人への補償はすべて解決済みというのが日本政府の見解である。
日韓基本条約締結の際、日本が韓国に支払った無償3億ドル、有償2億ドルの中には元戦犯への補償も含まれているということだ。
請求権協定に関する日韓の折衝で、元戦犯についてどのような話し合いがされたのか。そのあたりを今一度、精査する必要もあるだろう。
青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社)、近著『明治維新の収支決算報告』(彩図社、2022年)。「さんたつ by 散歩の達人」で連載中。