「自ら北朝鮮に」で射殺された韓国人男性

「自ら北朝鮮に」で射殺された韓国人男性

大韓民国第19代大統領を務めた文在寅氏 出典 文在寅政府大統領府公式ツイッター

 2020年9月、韓国海洋水産省所属の公務員の男性(当時47歳)が漁業指導船で乗船勤務中に行方不明となった。

 翌日午後、北方限界線(NLL=軍事境界線が西側海域に伸びたライン)の北側の海域で浮遊物にしがみついて漂流しているところを北朝鮮の警備艇に発見された。

 しかし、その後、海上に浮いたままの状態で長時間にわたって尋問を受けた上で射殺され、遺体が焼却されるという悲惨な事件があった。

 韓国海洋警察は、事件直後からこの男性が自ら海に飛び込み北朝鮮に渡ろうとしていた疑いがあるとし、その証拠としてギャンブルによって多額の借金を抱えていたことなどを挙げた。

 しかし、残された遺族は、男性が亡命のために「越北」する理由はなかったとして、越北したと判断した根拠を開示するよう求めて大統領府青瓦台に陳情を繰り返した。

 他にも北朝鮮軍の無線を傍受したという国防省と海洋警察のやり取りの内容などを含めて情報公開請求訴訟を起した。

 1審では、一部の情報公開を命じる判決が出たが、これに対して大統領府国家安保室は直ちに控訴し、情報公開を拒否していた。

新政権後、「越北する根拠はなかった」と遺族へ謝罪

 遺族は大統領選のさなかに、当時、野党陣営の尹錫悦(ユン・ソンニョル)候補に接触して真相解明への協力を求め、尹候補も協力を約束していた。

 新政権発足から間もない今月16日、海洋警察は、「男性が越北しようとしたと断定する根拠はなかった」とする最終捜査結果を発表した。

 海洋警察の当初の発表では、男性の借金の額を2倍に水増ししたほか、借金で「精神的パニック状態」になっていたとするなど、意図的に誇張があったことも認め、遺族に謝罪した。

 これ受けて新政権の国家安保室は、遺族が起していた情報公開請求訴訟への控訴を取り下げ、これによって情報公開を命じた1審判決が確定する見通しとなった。

 しかし、文在寅(ムン・ジェイン)政権での公文書は、すべて15年間秘密扱いの大統領記録文書としてすでに移管されている。

 閲覧するためには、国会での3分の2以上の賛成が必要なため、情報開示は事実上、困難となっている。

男性失踪から文大統領への報告までを時系列で追う

男性失踪から文大統領への報告までを時系列で追う

新型コロナ規制撤廃で活気を取り戻す明洞(著者撮影)

 この事件について、当時の経緯をもう一度、振り返ってみたい。

 2020年9月21日午前11時半頃、この公務員男性の失踪に同僚が気づき、海洋警察に通報。韓国海軍の艦船など20隻で現場周辺を捜索したが見つからなかった。

 翌22日午後3時半頃、NLLの北朝鮮側海域で男性が漂流しているのを北朝鮮の警備艇が発見し、男性を海上に放置したまま尋問を行っている姿が韓国側からも目撃できた。

 行方不明の男性が、北朝鮮側の海域で発見されたという韓国軍の諜報の内容が書面報告で大統領に上がったのは午後6時36分だった。

 その後、夜9時過ぎになって、この男性の扱いを巡って北朝鮮警備艇と上部機関との間でやり取りしていることが無線で傍受。その直後に射殺命令が下され、午後9時40分頃、射撃があった。午後10時10分頃、遺体に油をかけて焼却しているのも目撃された。

 青瓦台危機管理センターに公務員男性殺害の報告が上がったのは午後11時過ぎ。翌23日未明1時から徐薫(ソ・フン)国家安保室長ら関係長官会議が開催され、文在寅大統領に報告があったのは、朝8時半から9時の間だった。

大統領府は「自主越北」に力点を置いた捜査を指示

 しかし、男性が北朝鮮側で発見されたことを覚知してから射殺されるまで6時間あまり、大統領に書面報告が上がってから3時間あまりあった。

 この間に「韓国側から北朝鮮側に連絡を取り、救出のための行動を起さなかったのはなぜか?」「殺害の報告があってから10時間近く文在寅大統領に報告が上がらなかったのはなぜか?」など疑問がある。

 文政権では、2014年セウォル号沈没事故の際に、朴槿恵(パク・クネ)大統領の行動が不明な「空白の7時間」があったとして、事故原因究明のための調査を前後9回にわたって繰り返していた。それとまったく同じ状況でも文氏からは何の説明もなかった。

 実は、この日の朝、文在寅大統領は、国連総会でビデオ演説し、北朝鮮と関係国による朝鮮戦争の「終戦宣言」の必要性を訴えていた。

 北朝鮮による許されざる蛮行の傍らで、北朝鮮との融和を国際社会に向けて訴えていたのである。

 事件がメディアで伝えられ、韓国社会が騒然となる中、海洋警察は早くから「この男性が自ら越北しようとしていた」と発表し、男性が発見された後も何も行動を起さなかった理由としていた。

 しかし、のちに朝鮮日報などが報じたところでは、青瓦台民情首席秘書官から「自主越北」に力点を置いて捜査しろという指示があり、それが誇張や飛躍、隠ぺいにつながり、越北の断定につながったと言われる。

文政権 南北関係優先で金正恩氏の謝罪文偽造疑惑や人権軽視の前科もへ続く。

小須田 秀幸(こすだ ひでゆき) 
韓国在住4年目。KBSワールドラジオ日本語放送で日本向けニュースの校閲を担当。日韓の歴史の舞台となった場所を訪れ、韓国の今を紹介するコーナー「ノッポさんの歴史ぶらり旅」をKBS日本語放送のウェブサイトとYouTubeで発表している。

記事に関連のあるキーワード

おすすめの記事

こんな記事も読まれています

コメント・感想

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA