国連軍司令部解体=朝鮮戦争終戦

国連軍司令部解体=朝鮮戦争終戦

4月7日にハンフリーズ基地を訪問した尹錫悦次期大統領 出典 在韓米軍

 昨年9月21日の国連総会で、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が朝鮮戦争の「終戦宣言」を提案して物議を醸したことがある。

 任期切れを目前に大統領就任以来の悲願を実現したいと焦っていたようだ。

 しかし、北朝鮮の核開発や弾道弾発射実験への懸念が深まっている状況で、それはあり得ない。

 空気の読めない発言に、各国首脳はあぜんとした。金正恩(キム・ジョンウン)総書記の妹・与正(ヨジョン)氏も「良い発想だ」と一応は評価しているが、文大統領の期待したのとは違って今ひとつ反応は薄い。

 しかし、実は北朝鮮側も内心はかなり期待したのではないか。

 というのも、それから1か月ほどが経過した11月初旬、北朝鮮は国連総会第6委員会に国連軍司令部解体を求める要求を出しているのだ。

 朝鮮戦争において米国を中心とする多国籍軍を束ねる国連軍司令部は、朝鮮戦争が終戦に至っていない現在も活動を続けている。それを解体するということは、朝鮮戦争の終戦を意味するものだ。

 文大統領の提案をサポートする一手だったとは考えられないか。

国連軍司令部は韓国米軍基地内にある

 ここで、北朝鮮が解体を要求している国連軍司令部について説明しておこう。

 国連安保理で朝鮮半島への軍事介入と多国籍軍の編成が決定。

 この会議にソ連は欠席し、米国主導で事が進められた。そのため、北朝鮮は今回の解体要求をした時にも「国連軍司令部は国連とは関係のない米軍の司令部にすぎない」と、その正当性を否定してもいる。

 朝鮮戦争の戦闘指揮は、極東地域を統括する東京の連合国軍総司令部最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥に委ねられていた。

 国連軍司令部が韓国に設置されたのは、休戦後の1957年のことであり、現在は京畿道平沢市の米軍ハンフリーズ基地内にそれがある。

 司令部には18か国の約50人からなる要員が在籍し、司令官は、在韓米軍司令官が兼務する。

日本にも国連軍司令部組織が設置されていた

 朝鮮戦争勃発時の日本は占領下にあり、国連軍には参加していなかった。

 が、独立回復後は、1954年の「日本における国際連合の軍隊の地位に関する協定」締結により、協定に基づいて日本国内にも正式に国連軍施設の設置が決定。神奈川県のキャンプ座間には、国連軍後方司令部が置かれるようになる。

 その後、後方司令部は、東京福生の米軍横田基地内に移転し、現在も軍人3人と軍属1人からなる司令部要員が在籍している。

 地位協定では、横須賀や沖縄などの多くの米軍基地が国連軍施設として提供され、休戦協定維持のために使用することが認められている。

 最近も北朝鮮の核実験や弾道弾発射実験に際しての監視活動では、これらの基地が米軍を中心とする各国軍隊の活動拠点にもなった。

 そうして考えると、国連軍司令部は、我々日本人にとっても、決して縁遠い存在ではない。

空気が読めないのは北も南も同じか?

 多国籍の軍隊が参加する国連軍は、各国軍隊間の意志疎通が難しい。また、物資や装備品を融通し合う必要もある。

 国連軍司令部がそこに介在して統括しないことには軍が機能しない。

 休戦直後と比べれば、国連軍司令部の規模はかなり縮小されている。それでも組織を維持しておくことで、有事には、要員を増員して状況に素早く対応することができる。

 つまり、この存在が北朝鮮に暴挙を侵させないための抑止力になっているということだ。

 北朝鮮が現在のような挑発を続けている限りは、終戦宣言と同様に国連軍司令部解体などとてもできない相談だろう。

 空気を読まない発言は、南北ともにさすがは同族。といった感じか。

青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、近著『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社、2021年)。「さんたつ by 散歩の達人」で連載中。 

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