ロシアが制裁への報復を次々に発表
韓国は、ロシアから予想外の報復を受け、文在寅(ムン・ジェイン)大統領のレガシーが消滅するかもしれない。
ロシアによるウクライナ侵攻で日本政府がロシアへの制裁を決めた。
ロシアは制裁に対する報復として、北方領土問題を含む平和条約交渉、北方4島での共同経済活動に向けた対話を中断し、北方領土元島民の「ビザなし交流」などの交流事業も停止すると発表した。
さらに4月1日には、北方領土の1つ、国後島で1000人規模の軍事演習を行うという。ロシアに不法占拠されている北方領土返還に向けた動きは、今後、難航が予想される。
一方、当初、ロシアへの制裁に消極的だった韓国も、他の西側諸国から一歩遅れて、対ロシア金融制裁と輸出規制への参加を表明した。
これにより、ロシアによる報復は避けられないとみられ、今年予定されている「サハリン残留コリアン」の永住帰国に悪影響があるのではないかと懸念されている。
サハリン残留コリアン問題とは?
第2次大戦の終戦時、日本領であった南樺太(現サハリン)や北方4島(国後、択捉、色丹、歯舞)には多くの日本人が住んでいた。
彼らは、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻、占拠した後、しばらく帰国が許されなかった。交渉の結果、1946年12月に帰還事業が始まり1949年7月までに約30万人の日本人が本土への帰還を果たした。
ところが、サハリンにいた朝鮮半島出身者は、ソ連当局の意向によって、帰還が許されなかった。
終戦当時、日本本土には多くの朝鮮半島出身労働者がいた。
当初は、日本での高賃金にひかれて自らの意志で日本に渡る者が多かったが、戦況が悪化し、日本国内で男子の労働力が足りなくなると、「徴用」によって数十万人の労働者が日本に送り込まれた。
その中にはサハリンに渡った者もおり、終戦時に約2万人の朝鮮半島出身者がいたとされている(人数は諸説ある)。
長らく放置されたサハリン残留コリアン
米ソ間で定められた引揚協定では、朝鮮半島北部出身者には北朝鮮への帰還が認められていた。
しかし、サハリンにいた朝鮮半島出身者の多くは半島南部(北緯38度線以南)出身者だったため、該当する者は少なかった。
日本人が引き揚げを完了した1949年、38度線以南には大韓民国が成立していたが、政情が不安であった。翌1950年には、朝鮮戦争が勃発したため、サハリンに取り残された人々に関心を向ける余裕はなかった。
その後も、冷戦構造の中、韓国はソ連との国交を持たなかったため、この問題は長らく放置された。
朴魯学による帰還運動に絡む吉田清治
サハリン残留コリアンの帰還に熱心に取り組んだのは、在日朝鮮人、朴魯学(パク・ノハク)夫妻であった。彼は、日本人と結婚していたために日本への引き揚げを認められていた。
当初、人道支援のための活動であったが、それが政治的色彩を帯び始めるのは、夫妻が1975年、日本の弁護士の協力で「樺太残留者帰還請求訴訟」を起こした後である。
裁判では、「サハリン残留コリアン問題は、日本の強制連行が原因」という主張が展開された。
この時の弁護士は後に「日本軍慰安婦裁判」の多くを手がけることになった高木健一氏であり、証言者には吉田清治もいた。
吉田は著書で「慰安婦の強制連行」を告白したが、後にその証言が虚偽であったことが明らかになっている。
「慰安婦合意」を上回る70億円を日本が支援
この裁判に背中を押されるように日本社会党の議員が中心となって「サハリン残留コリアン問題」が支援事業として予算化され、1994年の村山政権では予算が大幅に増額された。
その内訳は、韓国への永住希望者のための住居建設費、医療費補助、一時帰国者の渡航費、宿泊費、サハリンの「韓国文化センター」建設費などが含まれ、2007年までにその総額は70億円に達した。
「慰安婦合意」で日本が拠出したのが10億円であることを考えると、この金額はいかに巨額かがわかる。
一方、韓国は1990年にソ連との国交を開いた後も、サハリン残留コリアン問題については日本に任せきりで、事あるごとに日本の支援の増額を要求してきた。
なお、この事業に日本の国家予算が投じられていることは、韓国でほとんど報道されていない。
特別法適用による永住帰国は実現するか?
韓国がこの問題に自国の予算を使うことを決めたのは、文在寅が大統領になった後、2020年のことである。
韓国は2021年に「サハリン同胞支援に関する特別法」を施行して、サハリン残留コリアンとその家族の永住帰国を支援し、必要な費用を負担することにした。
聯合通信が3月14日に伝えたところによれば、今年、同法律が初めて適用され、350人が永住帰国する予定とのことである。
しかし、韓国のロシア制裁参加によって、帰国が実現するかどうかは予断を許さない。
犬鍋 浩(いぬなべ ひろし)
1961年東京生まれ。1996年~2007年、韓国ソウルに居住。帰国後も市井のコリアンウォッチャーとして自身のブログで発信を続けている。
犬鍋のヨロマル漫談