ソルビンが16年以来の再進出
今年3月、韓国のかき氷・アイスクリームの専門店「ソルビン」が東京新大久保に1号店をオープンさせた。
まだ肌寒い時期なのに長い行列ができるほどの盛況ぶりだという。
大きな器に山盛りされたかき氷。その上にフルーツなどを大量にトッピングして、見た目には、かなりインパクトがある。
暑い東南アジアには、すでに韓国系かき氷チェーン店が多く出店しており、「インスタ映えする」と観光客や現地の若者たちの人気を呼んでいる。
実は、ソルビンは2016年にも東京に進出し6店舗を営業したが、運営権契約を結んだ企業が破産して撤退したという経緯がある。
世界的人気の波に乗って、日本でのリベンジを果たそうというわけだ。新大久保の1号店に続き、年内には日本国内に5店舗を開店。さらに来年からは、毎年10店ずつ増やしてゆく予定だという。
「韓国のデザート文化を日本に広める」
と、意欲を燃やしているのだが。
韓国では昔からかき氷が夏の風物
ここで、かき氷の歴史について触れておきたい。
韓国では昔から暑い時期になると「パッピンス(韓国語でかき氷の意)」と書かれた幟(のぼり)が立ち、人々は冷たいかき氷で涼を取っていた。
韓国の伝統的なかき氷は、氷の上に甘い粒あんを乗せたもの。日本の氷あずきとよく似ている。
2000年代頃になってからは、缶詰のフルーツやソフトクリームを乗せたかき氷が見かけられるようになる。それが、やがてインスタ映えする韓国かき氷に進化した。
2013年にかき氷専門チェーンのソルビンができてからは本格的なブームに。
カフェなどでも、それぞれ独自のかき氷を考案するようになり、今では日本の旅行ガイドブックでも韓国デザートの代表格のように書かれている。
枕草子に削った氷を食した記述がある
しかし、かき氷が庶民の食文化として親しまれるようになったのは、それほど古い話ではない。
王族や貴人が、夏場に高い山中にある氷室から氷を運ばせて、かき氷に似たものを食べたことは大昔からあったかもしれない。
それは日本でも、平安時代の『枕草子』に宮中では夏場になると、氷を削り甘葛(あまずら)と一緒に食したという記述がある。だが、夏場に山中から天然氷を都まで輸送するのは、莫大なコストがかかる。庶民には縁遠い存在だった。
かき氷の発祥国はどこか?
日本の市中で庶民が、かき氷を食べるようになったのは、欧米製の製氷機が輸入されるようになった幕末期から。
文久2年(1862)、横浜・馬車道通りに「氷水屋」と呼ばれるかき氷店が開店したのがその発祥とされている。
明治16年(1883)になると、東京に製氷会社ができて、アンモニアを使った製法で大量の氷が生産できるようになった。
また、明治20年(1887)には、村上半三郎なる人物が氷削機を発明し、誰でも簡単にかき氷が作れるようになる。
この頃から日本各地で、夏場になるとかき氷を食べさせる氷店が増えてゆく。
当時は、かき氷の上に白玉やあんこを乗せた氷汁粉が人気だったという。
これは、伝統的な韓国かき氷にもよく似た感じだが…、それもそのはず、日韓併合後に大勢の日本人が朝鮮半島に移り住むようになり、様々な日本の大衆文化が移入された。
かき氷もまたその1つ。韓国人にも好まれ、終戦で日本人が半島を去った後も韓国人に親しまれて残り、今日のような“韓国風”にアレンジされたかき氷が生まれたのである。
そういった歴史的事実を知れば、「韓国のデザート文化」もさらに楽しめそうだ。
青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、近著『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社、2021年)。「さんたつ by 散歩の達人」で連載中。