経済音痴が招いた2年で住宅価格50%上昇
大統領選挙は野党候補の勝利に終わり、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の任期もあとわずか。
「1度も経験したことのない国を作る」
就任の時に熱く語ったこの言葉に国民が熱狂したのがはるか昔のことに思われる。
それを実現するために、すぐ実行されたのが最低賃金の引き上げ。2018年度は16.4%、翌年には10.9%と、確かに1度も経験のない上げ幅ではある。
しかし、それで企業は求人に二の足を踏み、若者たちは就職難に苦しむようになった。
また、現在問題となっている住宅価格の高騰は、すでに朴槿恵(パク・クネ)政権の頃から兆候はあったものだが、文政権は投資目的の購入が加熱していることがその元凶と考え、融資規制や固定資産税率の引き上げなどで熱を冷まそうとした。
しかし、それによって融資規制の対象外だった地域へ投資マネーが流入するようになり、不動産価格の高騰がより広範囲に広がってしまうことに。
この2年間でソウル都市圏の住宅価格は約50%も上昇し、庶民の夢だった郊外の住宅も手の届かない存在となった。
所得の上昇に頼るだけの経済政策。小手先の規制で投資熱が沈静化すると楽観した甘さ。すべては市場原理を理解してない文政権の経済音痴が招いたこと。
韓国経済は「1度も経験したことのない」苦境に陥っている。
右左両勢力の戦いは地域対立が根底にあり
市場原理を理解せず理想論で事を進めて経済をガタガタにする。
よく考えると、それは韓国だけではない。世界の各国でも「左派」とされる勢力の政権下では、似たような事態に陥ることがよく起こる。
ここで韓国の左派について、その歴史を振り返ってみたい。
朴正煕(パク・チョンヒ)が軍事クーデターで政権を掌握し、その正当性を問うための大統領選挙が実施されたのが1963年。この時の選挙からすでに右派と左派が争う展開だった。
しかし、どちらを支持するかについては、政策や思想よりも“地域”を重視する傾向が強い。
朴大統領の出身地域は、朝鮮半島南東部の慶尚道であり、側近にも同郷者が多かった。それに対して左派の中心は、朝鮮半島南西部の全羅道出身者で占められる。
長期政権を維持した朴大統領の地元である慶尚道では、インフラ整備や経済投資が優先して進められ、官公庁の人事でも慶尚道出身者が有利だった。逆に選挙で対立する全羅道は冷遇される。
そのため、90年代頃までの全羅道は、発展から取り残された地域となり、政権を牛耳る慶尚道出身者への反発が強い。
1998年になって韓国に初めて誕生した左派の大統領・金大中(キム・デジュン)もまた全羅南道の出身。世紀末近くになっても、韓国の右派と左派には、地域性が根深く残っている。
右派の慶尚南道から誕生した2つの左派政権
一方で1980年に起きた光州事件では、慶尚道出身者の右派が掌握する軍事政権の非道に対し、韓国全土の学生や労働者などが怒って蜂起した。「民主化を実現しなければ」と、地域を越えた連帯も生まれている。
文在寅大統領もこの時に民主化運動の闘士として戦ったが、彼が生まれたのは、右派の地盤である慶尚南道巨済市だった。
また、文大統領の盟友で、金大中に続く2人目の左派政権を樹立した盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の出身地も慶尚南道金海市。
2000年代になると左派=全羅道のイメージは次第に薄れてゆく。
1度も経験したことない国が確かに実現した
地域性が薄れるのにしたがって、左派陣営には、北朝鮮の影が次第に濃くなってくる。
徹底的な反共政策を行っていた90年代頃までは、「金日成は人間の顔をしていない」「共産主義は悪魔」という言葉が巷(ちまた)ではよく聞かれ、韓国民の大半が北朝鮮を敵視していた。
しかし、金大中政権の「太陽政策」が始まると、世論は大きく転換する。
北朝鮮を敵ではなく「同胞」と見るようになり融和ムードが進む。
左派陣営には、親北的な意見も目立つようになった。文在寅政権では右派から「従北」などと揶揄(やゆ)されるほどに北朝鮮寄りの態度が目立った。
そのため、国家保安法はすっかり有名無実化し、人々が公の場で北朝鮮を平然と賛辞できる状況になった。
それが文在寅大統領の唯一の成果だろうか。
同じ左派の金大中政権や盧武鉉政権でも見たことがない。確かにそれは、これまで韓国民が1度も経験しないことだった。
青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、近著『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社、2021年)。「さんたつ by 散歩の達人」で連載中。