世界で最も越えることが難しい国境
朝鮮戦争の休戦協定で決められた「軍事境界線」には有刺鉄線が引かれ、南北双方の軍隊による厳重な監視が行われている。
南北に幅2キロ・メートルずつ設定された非武装地帯には、民間人が入り込むことはできない。また、軍事境界線を鉄道や道路で越えることはできない(物理的につながってはいるが)。
2019年には、トランプ米大統領が板門店で軍事境界線を越えて北朝鮮を電撃訪問したことが話題になったが、普通の人が越境することは不可能。
政府や国際機関の関係者でもこれを越えるには難しい手続きが必要となる。おそらく、世界で最も越えることが難しい国境だろう。
ところが、今年の元旦、民間人が韓国側から軍事境界線を越えて北朝鮮に入っていたことが発覚。
厳重な監視体制が敷かれているはずの国境は、意外と簡単に越えられることがわかり、新年早々から韓国の新聞やテレビのニュース番組をにぎわす話題となった。
かつての金剛山ツアーも陸路越境は許されなかった
民間人が北朝鮮に侵入したのは、軍事境界線の最東部にあたる江原道高城郡。1000メートル級の峰々が連なる急峻な山岳地であり、北朝鮮側には、朝鮮民族が聖地と崇める金剛山もある。
2000年代初頭には、韓国側からも金剛山観光に多くのツアー客が訪れているが、この時も軍事境界線を陸路で越えることはできず。越境は韓国東部の港からすべて船を使って行われた。
南北関係が良好な時代でも、38度線からの越境は絶対に許されなかった。
北朝鮮の態度が硬化した現在は、警戒レベルは上がっていたはず。韓国では、過去に北朝鮮工作員のテロ活動が行われたこともあり、特に北側からの侵入には警戒している。
警報は正常に作動したが兵士は気づかず…
この地域の警備を担当する東部戦線第22師団では、大量の人員を配置し、赤外線センサーや監視カメラなども駆使して厳重に監視していたはずなのだが。
しかし、侵入者は、この監視の目をかいくぐり、北側に逃走してしまったのである。
1月2日に韓国軍参謀本部は、
「1月2日午後10時40分頃、何者かが軍事境界線を越えて越北したことを確認した」
と、公表している。非武装地帯には、高さ3メートルの鉄条網が設置され、一定の荷重がかかれば、センサーが反応する仕掛けがあった。
付近には暗視装置も設置され、夜間でも鉄条網に近寄る者がいれば、すぐにわかるようになっている。
鉄条網に手をかけた侵入者の存在を監視装置が感知して警報が鳴っていたという。が、監視兵たちは、それを認識できずに放置したままだった。
3時間後の午後9時20分になってやっと軍事境界線近くに設置した監視カメラに人影が発見される。急いで捜索にあたるが、当該人物は、すでに越境してしまっていた。
兵士の怠慢による初動の遅れが指摘される。
38度線は意外と簡単に越えられる
その後、監視カメラに映る映像を分析した結果、驚くべき事実が発覚する。
越北者は、一昨年の11月に脱北して韓国に亡命したキム氏と呼ばれる30歳の男性だということが特定された。
しかも、このキム氏が脱北したルートが、今回の越北と同じ場所。つまり、江原道高城郡の軍事境界線だったのである。
元器械体操選手だったキム氏は、韓国に亡命した時にも非武装地帯のフェンスを軽々と越えていたようだ。
新型コロナウイルスの侵入を警戒する北朝鮮当局は国境を封鎖し、かつては大勢の観光客が出入りしていた中国側の国境からは、一般人の越境は、ほぼ不可能な状況。そう考えると、北朝鮮に入るには、現在のところ南北の軍事境界線が一番確実と言えるか。
失敗すれば、命の保証はなさそうではあるが…。
青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、近著『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社、2021年)。