朝鮮戦争はいまだ終戦してなかった2022年
今年9月の国連総会において、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が朝鮮半島の「終戦宣言」を提案してきた。
北朝鮮が核開発や長距離弾道ミサイル発射実験で威嚇を続けている現状では、米国がこれに賛同するはずもなく、文大統領の1人相撲といった感は否めない。
しかし、文大統領は本気なようである。最近も韓国政府は米国との高官会議でこの問題を持ち出してきた。
文大統領にとっては、就任以来の悲願、任期も残すところはあと半年余りとなって焦りが出ていたようでもある。
そう、考えてみれば朝鮮戦争は、まだ終わっていなかった。我々日本人には、他人事であるだけに関心は薄く、とっくに「終わった戦争」といった感があったのだが。
実は、終戦には至っておらず、一時休止の休戦状態。戦争は、いまだ続いていたという事実を今さらながらに思再認識させられた。
米軍は核兵器の使用も検討した
米軍を中心とする国連軍と朝鮮民主主義人民共和国が、朝鮮休戦協定を結び「すべての戦闘行為と武力行使を停止する」という申し合わせがされたのは、1953年7月のことだった。
協定によって北緯38度線に停戦境界線が引かれ、北朝鮮軍やその友軍勢力は、それよりも以北に、また、国連軍は以南へ、それぞれが3か月以内に撤兵を完了させることが決まる。以来、その状態が68年間続いている。
朝鮮戦争は、北朝鮮軍の奇襲的な侵攻に始まった。一時は北朝鮮軍が、韓国領土の92%を占領し、米軍や韓国軍は、釜山まで追い詰められる。
その後、国連軍は攻勢に転じて、今度は北朝鮮軍を中国国境まで進撃するが、勝利を目前にして中国が参戦。中国人民志願軍の人海戦術で再攻勢に転じる…といった具合で、一進一退の攻防が約3年間続けられた。
その間に朝鮮半島は焦土化し、民間人を含めると300万人以上の人命が失われている。
連合軍のマッカーサー総司令官は、中国本土への核攻撃で局面を一気に打開しようとする。第3次世界大戦に発展しそうな危機的状況。さすがにこのままではまずいと、米ソは停戦を模索するようになる。
ソ連からの休戦提案から2年を要す
1951年6月には、ソ連が正式に休戦を提案し、両陣営の協議が始まる。が、ここからがまた長い時間を要した。
お互いの主張が折り合わず話し合いは難航。メンツにこだわる中国指導者・毛沢東は、「我々は戦争によって鍛えられる」などと言い出して徹底抗戦を唱え始める始末だった。
しかし、1953年になって米国大統領がアイゼンハワーに交代すると事態は動き始める。米国はこれまでの主張を引っ込めて、ソ連や中国が求めていた北緯38度線に同意。やっと、休戦協定がまとまる。
停戦協定が締結された頃には、前線の将兵にもすっかり厭戦(えんせん)気分が蔓延していたようである。
臨津江から襄陽を結ぶ連合国軍がカンザスラインと命名したあたりで、両軍は陣地を構築してにらみ合うだけの膠着(こうちゃく)状態が続いていた。
38度線は、この時点で両陣営が対峙している最前線にほぼ近いラインだった。
空気が読めない大統領発言に各国が困惑
以後、38度線の停戦境界線が事実上の「国境」となり、大規模な戦闘は避けられてきたのだが。
しかし、戦争を終わらせるには、戦争が終わったことを確認して、平和条約を締結する必要がある。が、そう簡単にはいかない。
平和条約を締結する前に停戦ラインの境界線をどうするか話し合わねばならない。そのまま国境とするのか、新たに国境線を引き直すのか、それとも、国境線を撤廃して南北を統一するのか。
また、戦争状態があるがゆえ韓国側に駐留している国連軍(在韓米軍)をどうするのか。と、色々ともめそうな問題がいっぱい。
文大統領の提案した終戦宣言は、そういった問題をすべて置いといて、とりあえず当事国同士が「戦争は終わった」ということを確認しようというもの。
まあ…、提案は北朝鮮側にも今のところ完全に無視されている。
「寝言は寝てから言え」
というのが、文大統領以外の当事者たちの考えのようで、終戦には、まだ時間がかかりそう。
青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、近著『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社、2021年)。