韓国映画にも登場
北朝鮮の大物工作員が、突然日本の新聞に登場した。60代とみられ、これまで韓国との間で数々の工作を繰り広げてきた。
彼は、韓国映画にも登場している伝説の人物だが、いったい何をやってきたのか。
読売新聞は、1月4日付紙面の1面のトップで、中国を拠点に活動する北朝鮮工作員が、北朝鮮の外貨獲得活動に日本企業を利用した疑いがあることがわかったと伝えた。
実害は確認されていないが、警察当局は、「国連の経済制裁下にある北朝鮮が、国際的な信用のある日本企業に目をつけたとみている」としていた。
北京を拠点にした工作員について同紙は、「リ・ホナム」と名前を明らかにしている。
実は、韓国では以前から有名な人物であり、2019年に日本で公開された韓国映画「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」にも、別名で登場する。
北朝鮮行きの足がかりを作る工作員リ・ミョンウン
映画の主人公は、韓国のスパイ機関、国家安全企画部(安企部、現在は国家情報院)が、北朝鮮による核開発の実体を把握するために北朝鮮内部に送った実在の人物だ。
映画では、パク・ソギュンという韓国軍の元少佐という設定になっており、名優のファン・ジョンミンが扮していた。
パクは、韓国の実業家になりすまし、平壌で金正日(キム・ジョンイル)総書記とも面会を果たす。その過程をスリリングに描き、日本でもヒットした。
パクが北京で接触し、北朝鮮行きの足がかりを作るのが、北朝鮮の工作員リ・ミョンウンだ。
この役は、演技派のイ・ソンミンが演じた。2人が虚々実々の駆け引きをするところも映画の見どころだ。
映画では、1997年12月に大統領選挙を控え、金大中候補(のちに当選)を落選させるため、安企部が、北朝鮮に武力挑発を依頼するシーンが出てくる。
リ・ミョンウンとパク・ソギュンが協力して、この計画を潰したことになっている。
金日成総合大学を首席で卒業、大学教授出身、中国で数々の「実績」
金日成総合大学を首席で卒業、大学教授出身、中国で数々の「実績」
このリ・ミョンウンこそ、今回読売新聞が取り上げた「大物工作員、リ・ホナム」なのだ。他にも、共同通信、東京新聞も最近、相次いで彼について報じている。
韓国メディアの報道を総合すると、本名はリ・チョル。同国を代表する金日成総合大学経済学部を首席で卒業し、同大学研究員や教授を経て、90年代中盤から中朝国境の中国側の都市、丹東に駐在した。対外経済委員会に所属し、海外資本の誘致を担当した。
その後、94年頃に北京に移り、ドイツ系ホテルであるケンピンスキーホテルを活動の拠点にした。
足がつかないようにというのか、繰り返し改名している。
最初はリ・チョルウン、次はリ・ホナムという仮名を使った。外貨誘致活動の傍ら、対南(韓国)工作にも暗躍した。
2007年には当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の特使と会い、南北首脳会談について論議したほか、12年に韓国内に開設された違法賭博サイトに北朝鮮のハッカーが協力した事件が摘発された。この時もリ・ホナムが協力していたと伝えられる。
19年11月には、韓国ガス公社の幹部が、ロシア極東のウラジオストックでリ・ホナムと接触していたと報道されている。
リは、金正恩総書記が力を入れる北朝鮮の元山葛麻観光開発地区にロシア産のガスを引くことについて、ガス公社側に相談したという。
北朝鮮の苦しさを物語る
この間、北朝鮮対南工作機関である作戦部(現・偵察総局)にも所属し、韓国の政治情勢や軍事機密収集活動に特段の功労があったとして、「共和国英雄称号」という最高の名誉も受けている。
写真を見ると、背広を着た年配の会社役員のようにも見えるが、こういう普通の姿が、かえって相手の警戒を緩めるのかもしれない。
北朝鮮は現在、新型コロナウイルスの流入を防ぐためとして中国との国境を閉鎖している。
厳しい国際制裁も受けており、「このままでは、今年は餓死者が続出する」(脱北者の1人)とも言われる。
報道の通りとすれば、リ・ホナムは、外貨稼ぎのため、同族意識の強い韓国だけでなく、北朝鮮への警戒心が強い日本にまで触手を伸ばしたことになる。
いかに北朝鮮が追い込まれているかを物語っている気がして仕方がない。
南と北の裏の裏に何があったのか…/映画『工作 黒金星(ルビ・ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』予告編
五味 洋治(ごみ ようじ)
1958年長野県生まれ。83年東京新聞(中日新聞東京本社)入社、政治部などを経て97年、韓国延世大学語学留学。99~2002年ソウル支局、03~06年中国総局勤務。08~09年、フルブライト交換留学生として米ジョージタウン大に客員研究員として在籍。現在、論説委員。著書に『朝鮮戦争は、なぜ終わらないか』(創元社、2017年)、『金正恩 狂気と孤独の独裁者のすべて』(文藝春秋、2018年)、『新型コロナ感染爆発と隠された中国の罪』(宝島社、2020年・高橋洋一らと共著)など、近著『金正恩が表舞台から消える日: 北朝鮮 水面下の権力闘争』(平凡社、2021年)。
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