金正恩党委員長が党中央委員会総会で、核実験と弾道ミサイル発射実験の中止を表明
金正恩党委員長が党中央委員会総会で、核実験と弾道ミサイル発射実験の中止を表明
金正恩労働党委員長は4月20日、核実験及び大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験の中止と、咸鏡北道吉州郡豊渓里にある核実験場を放棄することを発表した(4月21日付朝鮮中央通信)。
今年に入ってから北朝鮮情勢は目まぐるしく変化しており、金正恩委員長の初海外訪問となった中朝首脳会談(3月26日)をはじめ、4月27日に開催される南北首脳会談、そして米朝首脳会談と、北朝鮮の外交政策の躍進は国際社会を驚かせている。
そして、今回の衝撃的な発表を受けて、トランプ大統領をはじめ国際社会からは北朝鮮の決定を歓迎する声は多いものの、「北朝鮮の核実験中止は欺瞞である」と疑念を持つ声も多く寄せられており、その中には「米朝枠組み合意」の失敗例をあげるものが多い。
では、「米朝枠組み合意」とはどのようなものだったのだろうか。
「米朝枠組み合意」を超える成果は得られるのか
「米朝枠組み合意」を超える成果は得られるのか
「米朝枠組み合意」は、1994年10月21日にクリントン政権との間で結ばれたもので、北朝鮮が核計画を放棄、凍結するのと引き換えに、米国は北朝鮮の軽水炉建設を支援するというものであった。合意締結当時は、北朝鮮が核開発の凍結を約束したこともあり、「北朝鮮の非核化に向けた第一歩」だとして、期待の声も多かった。
だが、2001年に登場したブッシュ米政権の対北朝鮮強硬政策によって状況は暗転する。
ブッシュ政権は、イラン、イラクと同様、北朝鮮のことを「悪の枢軸」と名指しして批判し、北朝鮮の高濃縮ウラン開発疑惑を理由にKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)を解体して、「米朝枠組み合意」で約束された軽水炉支援を中断した。そのため、米朝関係は悪化の一途をたどり、合意は完全に破綻していった。
そして、故金正日総書記は、米国の対北敵対政策に警戒心を募らせ、凍結していた核開発を再開し、ついに2006年10月9日に初の核実験に踏み切るに至った。
米朝両政府は、破綻の責任は相手側にあるとしており、その後米朝関係は改善されないまま今日に至っている。
ただ、現在の状況と「米朝枠組み合意」当時の状況を単純に比較することはできないため、「米朝枠組み合意」の失敗をもって、北朝鮮の核実験中止などの発表を欺瞞と指摘することはできない。
1つ言えるのは、北朝鮮は、大国である米国と対峙するためには核武装を不可欠と考えているということだろう。そのため、北朝鮮はこれまで、米国と敵対している間は核開発を中断することはできないという姿勢を示し、「核開発は自衛の手段である」と主張してきた。
逆に、今回核開発を中断すると発表した背景には、北朝鮮が米朝関係改善の可能性を感じたからとも言える。もちろん中国や韓国など周辺国からの働き掛けがあったのかもしれないが、北朝鮮としては、米朝首脳会談が実現できるという手応えを感じ、米国との関係改善が期待できる間は、あえて核開発やミサイル発射を行う必要がないと判断したのだろう。
北朝鮮の非核化は実現するのか?その鍵は米朝首脳会談
一方で、もし米朝対話が不調に終わり、再び米国が北朝鮮に対して敵視政策を行えば、北朝鮮が再び核開発などの対抗措置をとる可能性は高い。北朝鮮の「核実験及びミサイル発射実験中止」の発表が本当になるか嘘になるか、また、「中止」状態がいつまで続くかについては、米朝首脳会談の行方を見守らなければならない。
米韓合同軍事演習及び米軍の韓国駐留が続く間は、北朝鮮は「米国の脅威が続いている」として「非核化」に合意する可能性は低いとみられるが、北朝鮮と米国双方がどのように折り合いをつけるのかが注目される。
八島有佑