1910年に初めて行われた靖国神社奉納プロレス
27日に開催された奉納プロレス(プロレスリングZERO1主催)について、一部のネット上には、靖国神社でプロレスとは“ふざけている”との批判も書き込まれている。
しかし、靖国神社で最初に行われた奉納プロレスは、100年以上前の1910年(明治43)で、戦後も力道山率いる日本プロレスが1961年に開催して1万5000人の観衆を集めている。それ以後は40年以上、奉納プロレスは途絶えていたが、2005年に大谷晋二郎選手が代表を務めるプロレスリングZERO1-MAX(現プロレスリングZERO1)が大和神州ちから祭りとして44年ぶりに奉納プロレスを復活させて以降、定例行事として行われている。
力道山の日本プロレスとしてジャイアント馬場・アントニオ猪木・大木金太郎らが出場
力道山は、力士時代も国民的プロレスラーとなった後も朝鮮半島出身であることは、公にしなかったとされる。力道山が現在の北朝鮮咸興がある咸鏡南道の出身であることは、よく知られていて、北朝鮮は、力道山を民族の英雄の1人として、取り上げることがある。
1961年の奉納プロレスには、のちの日本のプロレス界を牽引するジャイアント馬場とアントニオ猪木も出場している(ともに当時のリングネームは本名)。また、力道山が生前もっとも目をかけた弟子と言われる同じ朝鮮半島(現・韓国西南部の全羅南道高興郡)出身だった大木金太郎も出場している。
大木金太郎のリングネームで活躍した金一(キム・イル)は、日本での知名度を生かし韓国で凱旋試合など行い韓国でのプロレス発展の礎となったとされる。
靖国問題を主張するのは中国・韓国・北朝鮮の3か国
それにしても靖国神社が政治問題化して久しい。批判する国は、主に中国と韓国。それから北朝鮮を加えた3か国のみと言ってもいい。
しかし、靖国問題を中国や韓国へ着火させてある意味で煽ったのは、実は日本の新聞やテレビ報道だったことを知っておく必要がある。
確かに靖国神社は、日本に数多くある神社とは異質な神社で、唯一の存在であることは間違いない。創建も1869年(明治2)と神社の中では非常に新しいものだ。
靖国神社は、創建から現在に至るまで、幕末からの武士や軍人、軍属として戦没した人を祭神としていることも変わっていない。
靖国神社を学校で教わらない日本
朝鮮半島出身の力道山(奉納プロレスではレフリーのみで試合はしていない)や大木金太郎が靖国神社での奉納プロレスへ参加し、力道山の弟子として奉納プロレスのリングで戦ったアントニオ猪木は、1995年と2014年、北朝鮮で2度の大型興行を行っている。
これら靖国神社との関わりが、韓国や北朝鮮で問題になったという話は聞いたことがない。
思想の自由が保証されている日本では、靖国神社について様々な考えが許されている。日本人でも靖国神社を理解する人、批判的な人と様々だろう。
しかし、小中学校の社会科や高校の日本史で靖国神社について学んだ記憶があるだろうか。おそらく、ほとんどの人がないと思われる。そのため、神社名だけがうろ覚えで、ある程度、成長してから政治問題としての靖国神社のニュースという偏った情報が靖国神社の認識の基礎になっている人も少なくない。
自分の頭で考えるためには、基礎となる情報(正負両面)を学び、取捨選択することが必要で、それを元に靖国神社をどう思うかを個々で考えることができる。
これこそが、絶対的で不変の原理、ただ1つの中国共産党史観しか許されない中国との違いであり、思想や学問の自由がある日本の素晴らしい点なのではないだろうか(リングネームと故人は1部敬称略)。