1953年から休戦状態が続く朝鮮戦争
1953年から休戦状態が続く朝鮮戦争
朝鮮戦争は、1950年6月25日に旧ソ連の支援を受けた北朝鮮軍が北緯38度線を越えて南下したことから始まった戦争だ。
一時期、北朝鮮軍はソウルを占領するなど一気に韓国南部まで進行したものの、9月に米国を中心とした国連軍、韓国軍による仁川上陸作戦が行われた。
この作戦の成功とその後の北進により、今度は北朝鮮が逆に追いつめられた。その上で、中国が北朝鮮を支援するために参戦したことで、戦況は38度付近で膠着(こうちゃく)状態となった。
1953年に7月27日に休戦協定が成立。しかし、現在でも終戦していない。
北朝鮮250万人・韓国125万人の死者を出す
朝鮮戦争における韓国の戦死者は約25万7000人に上り、一般市民の被害に関しては99万人に達した。
北朝鮮では戦死や負傷、疫病などによる死亡人数は約250万人に達するなどまさに両国の存亡を掛けた戦いとなった。
朝鮮戦争は朝鮮半島を北緯38度線を休戦ラインとして、南北分断国家となり、民族統一が困難な状態に陥っている。
1953年に休戦となった後は、米国は韓国と米韓相互防衛条約を結んだ上で、在韓米国軍が駐留を継続している。
また、米国を中心とした国連軍が韓国を支援したにも関わらず、中国が支援した北朝鮮が互角以上の戦いを繰り広げた。そのため、結果として毛沢東を中心とした中国共産党指導部の国内外に対する権威が高まったとも言われる。
朝鮮戦争が日本へ与えた影響
朝鮮戦争は、米国が冷戦構造の中でソ連・中国との対決姿勢を一段と強めることになり、対日政策の転換につながっている。
日本の戦後の占領政策としては、民主化と軍備廃止の方針が取られていたが、1951年に米国と日本との間で日米安全保障条約が結ばれた。
日米安全保障条約の下で日本に対する政策は、共産主義化を防止するために再軍備を行わせる政策に転換している。その方針により、後に自衛隊となる警察予備隊が設置された。
こうした米国の方針転換により、日本の再軍備が開始され、朝鮮戦争に日本国内の基地から向かう米国軍に対して、日本は軍需物資を提供した。
戦況が進むにつれて日本国内の各種企業に対する米国軍の発注が増加し、「朝鮮特需」などと呼ばれる日本経済が戦後の不況から立ち直るきっかけの1つとなった。
総じて、朝鮮戦争は関連諸国の経済や関係性に様々な影響を与えたと言えるものだった。
休戦68年を迎える現在の朝鮮戦争
2020年で朝鮮戦争から70年が経過した。終戦宣言への期待が高まった時期もあったが、現在は数歩後退して先が見通せない状態だ。
韓国は南北融和のための努力を呼びかけているものの、北朝鮮は「南北共同連絡事務所」の爆破を行うなど強硬な姿勢を崩していない。
また、米朝の交渉は足踏み状態であり、北朝鮮の非核化は進んでいない。こうした状況から判断すると、朝鮮戦争の終結には、まだまだ時間がかかりそうだ。
千歳 悠
4年ほど活動しているフリーライター。金融、IT、国際情勢など日々情報を追いかけている。趣味は読書と動画視聴。