金正恩委員長が中国人民志願軍烈士陵園を訪問
北朝鮮国営メディア『労働新聞』は10月22日、金正恩委員長が中国人民志願軍朝鮮戦争参戦70周年に際して、「中国人民志願軍烈士陵園」を訪問したと報道した。
中国人民志願軍は朝鮮戦争(1950年〜1953年)に参戦して国連軍と戦った中国の部隊の名称である。
北朝鮮には開城など複数の場所に中国人民志願軍の陵園(墓地)があるが、今回、金正恩委員長が訪れた中国人民志願軍烈士陵園(平安南道檜倉郡)もその1つである。
朝鮮戦争で戦死した毛沢東主席の息子である毛岸英氏の墓も同所にあることから、特に中朝間の「血縁の絆」の象徴となっている。2012年10月の中国人民志願軍朝鮮戦争参戦62周年の際に竣工された。
金正恩委員長が同所を訪問したのは、2018年7月26日の「祖国解放戦争勝利」(休戦協定調印)65周年以来である。
訪問中、金正恩委員長は「抗米援朝保家衛国の旗印の下に、我々を支持した中国人民志願軍の不滅の功績と英雄的偉勲は朝鮮人民の記憶の中に生々しく残っている」と述べるなど、中国人民志願軍への敬意を示している。
労働新聞「中朝は特別な関係」と強調
中国人民志願軍が正式に朝鮮戦争に参戦した日とされる10月25日には、労働新聞に多数の関連記事が掲載された。
社説では、「中国の党と政府、人民は建国初期の極めて困難な状況であったにもかかわらず、1950年10月25日、朝鮮戦争に志願軍を派遣し、わが人民の革命戦争を血で援助した」と紹介した。
それを踏まえ、中朝関係を「前例をみない特殊で強固な親善関係へと発展してきた」と定義し、現在では「最高指導者金正恩委員長と習近平総書記同志との間の厚い親交関係」が構築されていると指摘した。
どの記事も中国との団結を強調する内容となっている。
今年は大規模行事や中国高級軍事代表団の訪朝は見送りか
ところで、金正日政権の50周年(2000年)と60周年(2010年)のときには、金正日総書記をはじめ党幹部出席の下、人民も参加する群衆大会が平壌で開催された。60周年の群集大会では、すでに後継者として注目されていた金正恩委員長も出席している。
このとき中国からは「中国高級軍事代表団」が派遣された。50周年時は遅浩田(国防部部長)が、60周年時は郭伯雄(中国軍事委員会副主席)が代表団を率いており、金正日総書記とも会見を行なっている。
また、金正恩政権となった65周年(2015年)には、李立国(民生部部長)が代表を務める「中国人民政府代表団」が訪朝している。2013年12月に張成沢氏が処刑されて以降、中朝関係は冷え込んでいたものの、この時期、中国から幹部の派遣が続いたことが関係改善の兆しと指摘されていた。
さて、今年は70周年であるがどうだろうか。
50周年、60周年のときと同様、10年ごとの大規模集会や中国高級軍事代表団の派遣が予想されたが、今のところそのような動向は報じられていない。
北朝鮮自体が新型コロナ対策のために人の出入りを制限していることもあり、実現は難しそうだ。
北朝鮮とは対照的に中国は米国をけん制
さらに掘り下げると、上記の通り労働新聞は記念日を大々的に報じたものの、朝鮮戦争の「敵国」である米国に対しての批判は控えている。
社説に「中国志願軍が侵略者を打ち破った」などの言及はあるが、名指しで米国を非難することはしていない。
11月の米大統領選を見据えてか、北朝鮮はここ数か月間は一貫して抑制的な姿勢を示しており、それは今回も変わらない。
だが、そのような北朝鮮とは対照的に、中国側は米国への対決姿勢をあらわにした。
10月23日に北京で開かれた参戦記念行事で演説した習近平国家主席は、抗米援朝戦争の意義について言及した。
まず、習近平国家主席は「中朝軍は重装備の敵を打ち負かし、米軍の不敗神話を打ち破った」と朝鮮戦争では米国に勝利したと主張。
その上で、直接名指しはしないものの、「一国主義、保護主義、いじめ行為は根本的に通用しないばかりか、必然的に破滅への道となる」など米国を念頭に置いた非難を展開した。
さらに、「戦いは戦いによって、武力は武力によって止め、勝利によって平和を勝ち取り、尊重を勝ち取る」と述べ、全面対決も辞さないという強硬姿勢を見せている。
「祖国の神聖な領土を侵害、分断する」勢力に対しては、「正面から打撃を与える」と主張するなど、昨今の米国と台湾の接近に対するけん制とみられる発言もあった。
中国がここまで「抗米援朝」を強調することはここ数年ほとんど例がなく、昨今の米中対立の激化を物語っている。
北朝鮮と米国、中国の三角関係は緊張状態にあり、米大統領選を迎えるにあたり各国の動向を注視していく必要がある。
八島 有佑