平壌にスペースマウンテン?
北朝鮮へ旅行したある日本人男性が、平壌で撮影した写真を7歳の姪へ見せていると、「あ、ディズニーランド!」と言い出したという。
「いやいや、これは外国の街なんだよ」と説明すると、姪は「だってこれ『スペースマウンテン』でしょ」と言い出したという。
姪が指摘したスペースマウンテンとは、平壌を撮影した写真の1枚で白い帽子のような特徴ある屋根をした建物だった。
確かに「東京ディズニーランド」のスペースマウンテンの外観に似ている。
男性の姪はディズニーランド、特にスペースマウンテンが大好きで何度も乗っているそうだ。
東京ディズニーランドの1年前に開業したアイススケートリンク
東京ディズニーランドの1年前に開業したアイススケートリンク
男性が何気なく撮影した風景だったので、まったく気にも留めていなかったが、言われてみれば似ていると感じ、北朝鮮旅行を手配依頼した旅行代理店へ聞いてみた。
結果、建物はアイススケートリンクであることが分かった。平壌駅にも比較的に近い場所にある。
このアイススケートリンクは、座席数6000席ほどあり、毎年2月には、世界的なトップ選手が参加する白頭山賞国際フィギュア祭典の会場として利用されている。
建物外観が東京ディズニーランドのスペースマウンテンに似ているためスペースマウンテンをマネしたものかっと思われがちだが、平壌のアイススケートリンクは1982年4月15日開業で、東京ディズニーランドがオープンした1983年の1年前となる(スペースマウンテンは東京ディズニーランド開業時からあるアトラクション)。
元祖米スペースマウンテンは1975年生まれ
元祖米スペースマウンテンは1975年生まれ
しかし、東京ディズニーランドのスペースマウンテンは、米カリフォルニア州のディズニーランド(1955年オープン)のスペースマウンテンをモデルにまるで移築したように似ていると言われる。
カリフォルニアのディズニーランドのスペースマウンテンは1977年に誕生。そのカリフォルニアのスペースマウンテンは、1975年に登場した米フロリダ州の「ウォルトディズニーワールド」(1971年オープン)のスペースマウンテン(マジックキングダム)をモチーフにしている。
北朝鮮ならではの特徴的ある建築物群
話が少しややこしくなったので、まとめるとスペースマウンテンの建物自体は1975年から存在し、それが世界中の上海を除くすべてのディズニーランドへ広がっていったものだ。
平壌のアイススケートリンクがスペースマウンテンの建物をオマージュしたものかの確かな情報はない(もしオマージュしたとしてもアメリカの施設をオマージュしたとは公式に言わないだろうし)。
平壌には、パリの凱旋門を模して(これは公式に認めている)10メートル高くした凱旋門が観光地になっている。
これら北朝鮮の建築物を古きよき社会主義的な特徴ある建築物と評価する人も少なくない。