韓国・文喜相議長が来月4日に来日
来月4日、韓国から文喜相議長がG20国会議長会議へ出席のため来日する。文議長といえば、今年2月、米 『ブルームバーグ』へのインタビューで“日王は戦犯の息子”と発言し、当初は発言を否定していためブルームバーグに音声を公開されてしまい嘘だったことが露呈し物議を醸した人物で、来日すれば再び注目を集めそうだ。
22日午後1時から行われた即位礼正殿の儀へ参加するとため各国から王族や要人が来日している。現在、天皇を英語にすると、「Emperor(エンペラー)」と表現される。そのため、国際的には日本の天皇は世界で唯一の皇帝という扱いとなっている。
皇帝は中国では天子とも呼ばれる国王の上位に位置づけられる存在。近代までドイツなどにもいたが革命や戦争などの影響で共和制などへ移行したため現在では存在していない。
天皇=エンペラーはヨーロッパ人から
天皇を皇帝と呼ぶのは日本人にはどこか違和感があるかもしれない。実は、天皇をエンペラーと表現し始めたのは日本人からではなく、外国人からで、その始まりは安土桃山時代のキリスト教宣教師たちがすでにそのような認識を持っていことが文献に残されており、より明確になるのは江戸時代中期ごろとなる。
そもそも天皇という呼称は、それまで大王(おおきみ)と呼ばれていた大王を聖徳太子が隋の皇帝であった煬帝に西の皇帝に対して東の天皇と別の呼称にして直接的な怒りに触れないように知恵を絞り生み出したものと伝えられている。
天皇は平安時代には政治的な権力を失うも平清盛の太政大臣や織田信長の前右大臣(さきのうだいじん)、島津斉彬の薩摩守などの官位は天皇が与えるという歴史が続いてきた。
江戸時代の天皇を聖職的皇帝を表現した独ケンペル
江戸時代、日本には、聖職的皇帝と世俗的皇帝の2人の皇帝がいると紹介したのが、エンゲルベルト・ケンペルというドイツ出身の長崎出島で勤務した医者で、ケンペルが1690年から日本に滞在した2年ほどの体験をまとめた記録が、彼の死後の1727年に『日本誌』として英訳本として発行されている。
聖職的皇帝は天皇を指し、世俗的皇帝が将軍を指していた。この日本誌は、19世紀初頭に同じく出島に医者として滞在したドイツ人シーボルトなどにも影響を与え、ケンペルの最初の記録から150年ほど経った幕末の日本へやってきたアメリカやイギリス、オランダ、ロシアなどのいわゆる欧米列強も日本を知るための資料として研究されていた。
というわけで、天皇は、日本が明治維新を迎えて王政復古の大号令の前から、諸外国には皇帝と認識されていて、後がそれが太平洋戦争時などに天皇=絶対権力者という誤解を生む要因になったとも推測される。
300年以上前にケンペルが書き記した聖職的皇帝という表現は、世界史上の皇帝=絶対王政・権力者とは違う特殊な存在であることを実に現実的で、的を得た言葉で表現をしていると言えるのではないだろうか。