日本人の北朝鮮観光は1987年から始まる。「はじめに」より

日本人の北朝鮮観光は1987年から始まる。「はじめに」より

日朝の知られざる観光交流の歴史を知ることができる

北朝鮮観光の歴史からTVでは伝わらない北朝鮮の姿が見えてくる 礒﨑敦仁慶應義塾大学准教授著『北朝鮮と観光』(1/3)の続き。

 近年、わが国における観光研究は、入門書・概説書の整備が進み、「観光学」としての発展も目覚ましいが、北朝鮮は隣国であるにもかかわらず訪問者数が極端に少ないこともあって、触れられることすらない状況が続いている。

 本書は、日本人観光客の受け入れが始まった1987年以降、とりわけ金正日政権期(1994~2011年)と金正恩政権初期(2011~2019年6月の脱稿時)の北朝鮮観光がいかなるものであったかを、主に日本と北朝鮮で公刊された多様な資料によって描くことを目的とする。

 序章では、北朝鮮観光を読み解くうえでの基礎知識を最近の情勢を概観する形で提供する。第一章では、北朝鮮観光がいかなる特徴を持っているのか、主にパンフレットから概要を示す。第二章では、北朝鮮がいかなる観光戦略を持っているのか、北朝鮮メディアの論調をもとに、金正恩政権に入ってからの新たな状況を踏まえて考察する。第三章では、北朝鮮がいかに日本人観光客を受け入れてきたかについて論ずる。その開始と中断の経緯を振り返ることは、北朝鮮観光の意義と限界を考え直す材料となる。第四章では、北朝鮮による韓国人観光客受け入れについて、とりわけ観光を例に検証する。第五章では、各国で発行されたガイドブックが北朝鮮をいかに描いているかを読みとく。第六章では、旅行記が北朝鮮をいかに叙述してきたかを整理することで、日本社会における対北朝鮮イメージの変遷をたどる。半世紀の間に、極端なプラスイメージから極端なマイナスイメージに転じた様が見て取れる。

日朝の知られざる交流の歴史

 閉鎖的なイメージが定着している北朝鮮だが、日本人観光客の受け入れを開始してから、すでに30年が経過している。その間、訪朝者が数千人規模になる年もあれば、100名を下回る年もあった。第六章で詳しく触れるが、本邦では多数の北朝鮮旅行記が出版されており、北朝鮮および北朝鮮観光の実態把握に大きな手助けになっている。

 しかし、それらはあくまで紀行文であり総じて主観的かつ断片的な内容であり、北朝鮮観光の意義や背景を考察した論考は、わが国では皆無に等しいのが現状である。例外的に、1990年代初めまでの動向について整理した宮塚利雄『北朝鮮観光』は、一般書の形態であるが先駆的業績であるといえる。

 一方、分断国家の当事者である韓国では、北朝鮮研究が重視されており、政治外交に限らず、社会科学・人文科学系のあらゆる分野において、北朝鮮がケーススタディの対象とされてきたといっても過言ではない。

 1990年代後半、韓国の「観光学」研究者は北朝鮮を主要な研究対象として扱うようになったが、金剛山観光開発を中心とした観光資源論、観光行動論、南北朝鮮間の経済協力についての論考が大多数を占めている。北朝鮮政治外交と観光政策の関連性について考察されることはあっても、日本人観光客の受け入れについて掘り下げられることはなかった。

 そこで本章では、日本人を対象とした北朝鮮のインバウンド観光政策の移り変わりを整理し、特徴を探ることにする。その手法として、北朝鮮の文献や各旅行会社のパンフレットといった一次資料のほか、北朝鮮観光に携わる複数の関係者への聞き取り調査を素材とした。

(続く)


North Korean BBQ by the Sea
 英語や中国語で検索すると訪朝者が現地で撮影した北朝鮮観光動画を多く見つけることができる。中には北朝鮮公認の動画も少なくない。
 

礒﨑 敦仁(ISOZAKI Atsuhiro)
慶應義塾大学准教授。1975年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部在学中、上海師範大学で中国語を学ぶ。慶應義塾大学大学院修士課程終了後、ソウル大学大学院博士課程留学。在中国日本国大使館専門調査委員、外務省第3国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、東京大学非常勤講師、ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロー・ウィルソンセンター客員研究員などを歴任。総合旅行業務取扱管理者。共著に『新版北朝鮮入門』(東洋経済新報社、2017年)、共編に『北朝鮮と人間の安全保障』(慶應義塾大学出版会、2009年)ほか。

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