北朝鮮から日本製のスニーカーやカラーテレビがやってきた
北朝鮮から日本製のスニーカーやカラーテレビがやってきた
新しいものはすべて北朝鮮から入ってきていたと話すのは中国・吉林市出身の姜英梅さん。朝鮮族である姜さんは1950年代から60年代にかけて親戚で北朝鮮へいわゆる帰国した人たちがいるので従兄弟や伯父伯母は今も北朝鮮に住んでいる。
姜さんが小学生時代の80年代後半、ソウルオリンピックが決定していたころ、中国は悪夢のような文化大革命が1976年に終わり改革開放政策が始まっていたが地方は非常に貧しかったという。
小学生だった姜さんが楽しみにしてたものがあった。それは北朝鮮に住む親戚が送ってくれる荷物。そこには、当時、中国の庶民の手には渡っていなかったスニーカーやカラーテレビがあり、生まれて初めてカラーテレビを見たのは北朝鮮から送ってもらったものだった。いずれも日本経由で北朝鮮、そして中国へ送られていたものだった。
姜さんは送ってもらったスニーカーをはいて友だちに自慢したことを今でもはっきりと覚えており、それくらい衝撃的で感激したのだと語る。
そのため小学生の姜さんは北朝鮮は中国よりも豊かで進んだ国なんだと思っていた。
その認識が根底からひっくり返ることが起こったのはそれから10数年後の90年代後半のことだった。
乾杯後に泣き出す平壌の大学教授
高校生になった姜さんは、平壌で大学の教授を務めるという自慢の親戚がやってくると聞いて話を聞くのを楽しみにしていた。
大学教授の親戚がやってきたので一族で宴会を開きビールで乾杯をして一気に飲み干したところ、その親戚の教授が泣き出したという。
どうしたのかと尋ねると、「生まれて初めてビールを飲んだ。こんなにうまいものを飲んだことがない」と話したという。その光景に姜さんは強い衝撃を受けた。90年代後半の中国は、今ほどではないが、ものは増えてきて、カラフルな洋服、ビールなどの嗜好品も買うことができる時代になっていたからだ。
崩れた中国より豊かな北朝鮮
数日滞在したのち親戚の大学教授は多くの土産物を手に北朝鮮へ戻っていった。姜さんはそれを見て北朝鮮は中国よりも豊かという認識は崩れ去ったと振り返る。
「大学の教授くらいの人がビールを飲んだことないことがショックでした。後から90年代後半の北朝鮮は経済的に非常に苦しい時期だったことを大学に入ってから知りました」(姜さん)
今では信じられないが、北朝鮮が中国よりも豊かだった時代があり、新しいものはすべて北朝鮮からもたらされたような時代があったこと。それだけ中国の発展スピードがものすごく、朝鮮族はまさに中国の現代化と北朝鮮のリアルな歴史の両方を見てきたことになる。