「北南の歴史認識の差異が埋まらないままだと統一はうまく進まない」
「北南の歴史認識の差異が埋まらないままだと統一はうまく進まない」
今年に入り北朝鮮と韓国の間で融和ムードが高まっており、南北交流も順次始まろうとしている。その中で、南北分断を経験した両国間には解決すべき課題は少なくなく、その1つに北朝鮮と韓国の「歴史認識」の差が挙げられる。
長年に渡り、最前線で朝鮮近・現代史を研究してきた康成銀朝鮮大学校朝鮮問題研究センター長に歴史学的見地から見解を伺った。
Q 現在、北朝鮮と韓国の歴史認識の差はどのような状況にありますか。両国で歴史研究交流はどの程度進んでいますか。
解放後、民族の分断によって北南間の歴史研究交流は妨げられ、共通の歴史認識を持つことができなかった。「6.15共同宣言」(※金正日国防委員長と金大中大統領によって2000年6月15日に締結された合意文章)以後、北南歴史交流が始まったが、李明博・朴槿惠両政権の登場により再び中断を余儀なくされてしまった。しかし、板門店宣言では学術研究交流が謳われており、同じ轍を踏むことはないないだろう。北南歴史研究交流を行っている団体の代表例として、2004年2月に組織された民間学術共同機構の「北南歴史学者協議会」が挙げられるが、交流は特定のテーマについて限定的に行われており、共通の現代史像を議論するまでには至っていない。しかし、焦る必要はなく、北南統一にともない徐々に共通の現代史像について議論を深めていけばよいのではないか。
Q もし北朝鮮と韓国で共通の歴史認識の差が埋まらないまま朝鮮統一が進んだ場合、どのような危険性をはらみ、どこで行き詰まりが出てくるでしょうか。
私は、人間の価値観の根幹は「歴史をどう見るか」という点にあると考えている。そこに差異がある場合、同一民族であろうと、ともに生活を送るのは困難であると思う。したがって、北南の歴史認識の差異が埋まらないままだと統一はうまく進まないだろう。北南共通の歴史認識を形成することの重要性はその点にある。
Q 6.15共同宣言後、統一の基礎となる北南共通の歴史認識の差を埋め大衆に広く知らせることができなかった原因はどこにありますか。また、現在の状況と当時の状況はどう違うのでしょう。
韓国では、朴正熙政権下で導入された歴史教科書が、長い間国定教科書として使われてきたが、2007年盧武鉉政権下で歴史教科書の国定化が廃止された。その後、李明博・朴槿恵政権下で歴史教科書を再び国定化しようという動きがあったが国民的反対運動が起き、文在寅政権の誕生によって新しい国定教科書が日の目を見ることはなかった。このような歴史教科書問題の背景があるため、現在、韓国における反共主義的な歴史認識は大きく後退した。したがって、2000年代前半当時と比べ、北南歴史交流は活発に進むのではないか。
連合制や連邦制など統一の形を議論する前にまず人が自由に行き来できるようにすることが大切
Q 朝鮮統一はどのようなステップで進み、どのような形になるでしょうか。
北南の政治・経済制度を統一することは難しい。仮にそのような制度を統一するとなった場合、吸収統一という形になってしまう。私は、まず人が自由に北南を行き来することができるようになることが大切であると思う。離散家族の再会は、朝鮮半島に住む人々が最も望んでいることであり、我々在日朝鮮人も朝鮮半島に住む家族に会いたいと強く願っている。統一の方向性は、6.15共同宣言の第2項にあるように北側の低い段階の連邦制案と南側の連合制案の共通する部分を模索していくことになる。「2つの朝鮮(連合制)」か「1つの朝鮮(連邦制)」どちらの形で統一されるか議論があるが、今の段階で明確な答えを出す必要はなく、徐々に統一に向けて動き出していくことが望まれる。私は、最終的な統一までは長い時間がかかるのではないかと予想している。
康氏が言われている通り、「人間の価値観の根底は歴史認識にある」という言葉は、朝鮮半島だけに限らず全人類に当てはまるものであり、他国との歴史認識の違いを埋めるというのは全世界共通の課題とも言える。
北朝鮮と韓国は、長年続いた敵対関係を解消し、ともに歩もうと進み始めている。康氏の指摘にもあるように交流がなければ、両国の歴史認識の違いも埋まらない。今、両国は歴史認識の違いを克服し、朝鮮統一に向けてスタートを切った。記者としては、日本も歴史認識研究については傍観者となることなく当事者として北朝鮮と韓国の研究交流に加わり、歴史認識問題に取り組んでいく必要があると考える。
今後も両国がどのように共通の歴史認識を形成していくかに注目し、取材を続けていきたい。
康成銀朝鮮大学校朝鮮問題研究センター長
1950年大阪生まれ。1973年朝鮮大学校歴史地理学部卒業。朝鮮大学校歴史講座教授を経て、現在は朝鮮大学校朝鮮問題研究センター長を務めている。
立山達也