反共産主義の象徴だった李承福。僕は共産党が嫌いだと言い放った反共少年

反共産主義の象徴だった李承福。僕は共産党が嫌いだと言い放った反共少年

江陵浸透事件で北朝鮮工作員が残した遺留品

 冷戦終結を前後して共産主義アレルギーが希薄化、最近では北朝鮮に対する融和的な態度が目につく韓国社会だが、以前の韓国はガチガチの「反共国家」だった。そんな今は懐かしい「反共韓国」を垣間見ることができる場所がいくつかあるが、その中の1つ、江原道平昌郡の「李承福記念館」を訪ねる機会があったので紹介したい。

 李承福君は、韓国に侵入した北朝鮮の武装工作員によって1968年12月9日に殺害された当時小学2年生の少年。「北と南とどっちがよいと思うか?」と聞く工作員に対し、李君が「僕は共産党が嫌いだ」と言ったと、生き残った兄が証言したことから、一躍「反共少年」として有名になった。

 小学校の教科書でも大きく扱われ、各地に李君の銅像が建つなど偶像化され、ある年代以上の韓国人には聞き慣れた名前といえる。だが、1990年代に入ると教科書の関連記事も徐々に簡素化し、捏造説まで提起され、今や話題になることもめっきり少なくなってしまった。

李君が通った元小学校校舎を整備して史跡に。反共精神を養うための博物館へ

李君が通った元小学校校舎を整備して史跡に。反共精神を養うための博物館へ

元束沙初等学校桂芳分教場

李君が通った元小学校校舎を整備して史跡に。反共精神を養うための博物館へ

 記念館は、平昌郡と洪川郡の郡境にそびえる桂芳山の南麓、国道31号線沿いの龍坪面路洞里に位置する。五台山国立公園にも近く、周りは鬱蒼(うっそう)とした山々が連なっている。嶺東高速道路の束沙ICからは約6キロメートルと交通の便はよいが、高速道路が整備される1970年以前の路洞里は、訪れる人もまれな山間の僻地だったことは想像に難くない。バスで向かうなら京江線の駅がある珍富から洪川郡内面行きに乗車するが、バスの本数は少ない。

 記念館の規模はかなり大きく、李君が通っていた平屋建ての「束沙初等学校桂芳分教場」の校舎、李君の遺品などを収めた本館展示室、事件の再現フィルム上映館、復元された生家、岩石や動物標本を収めた自然学習場、江原教育広報館など複数の学習施設からなる。庭には朝鮮戦争で使われた戦車や戦闘機も展示され、遠足で訪れた児童らが、遊びながら自然に「反共精神」を養える場所として整備されていた。史跡に指定されたのは1982年。その後、少しずつ規模を広げ、現在の形になったらしい。

当時の雰囲気を再現した教室には朴正煕元大統領のセマウルの歌や国民教育憲章が展示

当時の雰囲気を再現した教室には朴正煕元大統領のセマウルの歌や国民教育憲章が展示

反共国民歌謡集

 桂芳分教場が設立されたのは、李君一家虐殺事件が起きる約5年前の1963年のこと。学生数の減少で1998年3月に廃校となり、2000年9月に「教育展示室」として新たに整備された。現在は、李君が通っていた1960代の教室の雰囲気が再現されており、壁には朴正煕元大統領が作詞・作曲した「セマウルの歌」や1968年に制定した「国民教育憲章」、李君の事件を扱った教科書が展示してある。

 当時、「共産党が嫌い―李承福の歌」という曲まで創られていたようで、李君の事件が広く反共宣伝に使われていた様子がうかがえる。実際に李君が使っていたものなのか分からないが、教室の机に「李承福」と名札が置いてあった。

弁当箱やゴム靴などの李君の遺品が反共精神を養い北の脅威を伝えてきた

弁当箱やゴム靴などの李君の遺品が反共精神を養い北の脅威を伝えてきた

李承福君像

弁当箱やゴム靴などの李君の遺品が反共精神を養い北の脅威を伝えてきた

 一方、立派な本館展示室では、弁当箱やゴム靴など李君の遺品のほか、大きな油絵で李君を勇敢な英雄として紹介。江陵浸透事件で北朝鮮工作員が残した遺留品なども展示してあり、北の脅威を伝えていた。茅葺きの生家は復元されたもので、家の後ろの日当たりがいい場所に、惨殺された李君を含む家族4人のお墓があるそうだが、時間の関係で訪ねることができなかった。実際の生家は記念館から北に約5キロメートル、桂芳山麓の渓谷にあり、そこにも生家が復元されている。

 敷地の一角には、右手を上げ何かを訴えているような李君の銅像が立ち、その上部には「僕は共産党が嫌い」と、李君の言葉が掲げられている。共産党と接した経験がないはずの李君が、とっさに「共産党が嫌い」と言い放ったのは、当時の教育の一端を表していると言えるのかもしれない。
 

急速に薄れる反共精神。李承福君一家殺害事件の風化に危機感を抱く韓国保守派

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李承福君が生まれ幸せな家族

急速に薄れる反共精神。李承福君一家殺害事件の風化に危機感を抱く韓国保守派

 李君一家は、焼畑農業でほそぼそと生計を立てる「火田民」だったが、北朝鮮の武装工作員たちは、そんな貧しい家族の殺害をどのような論理で合理化したのだろうか。

 韓国の保守派は李君が「過去の人」となることに危機感を抱き、追悼式を開くなど活動を続けており、6月には李君の生涯を紹介した児童向け図書『僕は共産党が嫌いだ』(出版社・BLUESTORY)も出版された。だが、脱イデオロギーと南北融和という大きな流れの中で、記憶の風化を食い止めるのは容易ではないようだ。

熱川逸(フリーライター)

  • 復元された「反共の象徴」李承福君の生家

  • 展示されている李承福君の肖像画

  • 李承福君のゴム靴

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