「高麗人」という名称の由来
「高麗人」という名称の由来
旧ソ連に50万人いる高麗人とは? ロシアのウクライナ侵攻で注目の続き。
独裁者スターリンが1953年に死んだ後、彼らの国内移動の自由が認められるようになったが、強制移住から長い年月が経ち、親類も財産もない沿海州に帰る者はほとんどなかった。
1980年代後半、ソ連崩壊の直前には、ウズベキスタンとカザフスタンには、それぞれ10万人を超える朝鮮系の人々がいた。
彼らは1988年にソ連内の朝鮮系の人々の民族団体を結成したが、その名称として採択されたのが「全ソ連高麗人協会」である。
彼らが朝鮮半島を離れた19世紀、朝鮮半島には韓国も北朝鮮もなかった。
現在、韓国では民族名として韓民族を使い、北朝鮮は朝鮮民族を使う。
ソ連のコリアンは、長年ソ連に暮らす中で、韓国とも北朝鮮とも違う独自の文化を育んでいた。そのため、自らの民族名として、韓民族でもなく朝鮮民族でもない「高麗人」という中立的な名称を採用したのである。高麗とは、李氏朝鮮の前に朝鮮半島を治めていた王朝の名前である。
ソ連崩壊後も続く高麗人の受難
ソ連崩壊後、高麗人の運命はまたも暗転する。ソ連から独立した中央アジア諸国は、いずれも民族主義が強い。
高麗人たちは、旧ソ連に同化するために努力し、2世、3世はロシア語しか話せなかった。
新生のウズベキスタン、カザフスタンは、民族語を話せない高麗人に国籍を認めなかったり、就職差別をしたりした。そのため、多くの人がモスクワなどロシアの都市やウクライナなどへの移住を余儀なくされた。
ウクライナ語はロシア語と似ているため、言葉の問題が少なかったのである。
旧ソ連圏に今でも多くの朝鮮系の人々がいるのは、このような歴史的背景があるからである。
現在、韓国にも少数の高麗人が住んでいる。
韓国は長らく高麗人を外国人とみなし、入国を制限してきた。その後、2003年に「外国人雇用許可制」、2007年に「訪問就業制」が施行され、高麗人の入国が認められることになった。
文在寅(ムン・ジェイン)政権下では、さらにビザの発給条件が緩和されたため、2019年現在、韓国には約8万4000人の高麗人が居住している。
ウクライナ侵攻でクローズアップされた高麗人
ウクライナ侵攻でクローズアップされた高麗人
ロシアのウクライナ侵攻により、韓国居住高麗人に新たな問題が起きた。韓国には、ウクライナ国籍よりも多くのロシア国籍の高麗人がいる。
韓国の聯合ニュースによれば、韓国に住むロシア人やロシア国籍の高麗人に対し、SNSなどで「ウクライナ侵攻の責任をとれ」「韓国から出ていけ」などという悪意ある書き込みが増えているというのである。
高麗人は、長らく韓国人の関心の外にあった。しかし、ロシアのウクライナ侵攻が、忘れられていた高麗人をクローズアップしたことは確かである。
犬鍋 浩(いぬなべ ひろし)
1961年東京生まれ。1996年~2007年、韓国ソウルに居住。帰国後も市井のコリアンウォッチャーとして自身のブログで発信を続けている。
犬鍋のヨロマル漫談